冷たい雨の降る夜だから
 車のなかで隣に座る。運転席と助手席だと間に空間があるのに、後部座席は距離が近くて、ドキドキと鳴る心臓の音が車の中に響く気がした。それを隠したくてカサカサ音をたててプリンをレジ袋から引っ張り出す。

 この生クリームプリンは先生に買ってもらって以来、私にとって少し特別だった。ちょっと元気が無いときや不安な時、見かけるといつも買っていた。

『食って元気出しな』

 そう言ってくれた先生の声を思い出すから。先生は、昔もこれを買ってくれたこと覚えてるかな? 先生と物理実験準備室で過ごしてたのは、もう7年も前なのに、私の記憶は昨日の事のように鮮やかだった。

「ね、昔もこのプリン買ってくれたの覚えてる?」

「んなことあったっけ?」

「あったよ」

そうだっけ? と笑った先生は覚えてないなと言って、続けた。

「お前卒業して、5年もたったんだな」

 そんな気がしないと言うように、先生が小さく笑った。

「ちゃんと話すの…本当に久しぶりだったよね」

 あの頃の話に触れただけであふれそうになる涙をこっそり袖で拭って、元気な声を取り繕った。

「そうだな。3年の時は、お前来なかったしな」

 私は先生から目をそらしてうつむいた。あの頃、先生に会えなかった理由は、先生に言うのが少し辛い。本当に、悲しいくらいに、ため息と後悔と言い訳しか出てこない。

「戻りたいな……」

「戻ってどうすんだよ」

「……先生に、会いに行く。入学式まで戻って、先生に毎日会いに行く」

 私の答えに先生が、小さく笑う。

「俺、絶対追い返すぞ」

 わかってる。あんなこと無かったら先生は私をあの部屋に居させてくれなかった事位、判っていた。

「負けないもん。ホントは優しいの知ってるから負けないもん。毎日行くもん」

 何度追い返されても、負けない。絶対に途中で行くのを辞めたりなんてしない。涙があふれるのを堪えられなくて、唇をかんだ。あんなことがきっかけじゃなく先生に会えたら、どんなに良かっただろう。

「部活の先輩なんて好きにならないで……卒業するまで毎日、毎日…… 3年間、ずっと、夏休みも冬休みも、毎日先生のとこ行くもん」

 涙が止まらなくて、うずくまった私の頭を先生が撫でてくれた。

「……何で来なくなったんだ?」

 この質問をされるのが、ずっと怖かった筈なのに、静かな先生の声には咎める響きが無くて、余計に胸が痛くなる。

「怖く……なっちゃったの…… 私、先生だけは平気だったの。ずっと平気だったの。なのに、急に怖くなっちゃって…… 会いに、行けなく……なっちゃった……」
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