冷たい雨の降る夜だから
 「美味しい。すっごく」

 先生が私には到底出来ない手際のよさで作ってくれたお味噌汁と生姜焼きは、とっても美味しかった。色々と肩身の狭い思いで居たのに、美味しいご飯を食べてなお更肩身が狭くなったような気分で絆創膏の巻かれた左手の人差し指を見る。

「年季が違うから気にすんな。それに、料理なんて本の通りつくりゃそんな変な事にならないから大丈夫だ」

「……はい」

 こんな美味しいご飯作って超ハードルあげた後に「作って」と言われるは、もの凄いプレッシャーだと思う。先生が今まで付き合った人は、先生の出る幕が無いくらい手際よくご飯を作ってくれてた? 先生…、彼女、居なかったわけないよね…?居たよね? ふと思い至ってしまった事に少し、胸が痛んだ。

 食事を終えた後、テーブルの上を片付ける先生を手伝ってキッチンヘ向かう。

「お茶、飲むか?」

 先生が手にしていたのは緑茶の茶筒。

「お茶なら淹れられる!」

 ここぞとばかりに元気に返事をした私に先生は苦笑したけれど、私が淹れたお茶を飲んで、先生が小さく笑う。

「お茶は美味いじゃん」

「会社で毎日淹れてるもん」

 会社の研修で緑茶の淹れ方も紅茶の淹れ方も習っていた。お茶汲みの仕事は、あまり好きじゃないけど。

 私の前のローテーブルにお茶の入ったマグカップを置いて、先生が私の後ろのソファに座る。

「お前が部屋に居るとか、考えもしなかったな」

 言葉と共に伸びてきた先生の手が、おもむろにシュシュで束ねてあった私の髪を解く。視界の隅ではらりと髪が揺れるのが見えた。

「髪、伸ばしたんだな」

「うん」

 先生の手が私の髪を手櫛で梳いていくのが気持ちよくて目を伏せた。髪を伸ばしてるのには特に意味は無かった。ただ惰性で伸ばしていただけの髪は、今はもう腰に届きそうな長さになっていた。

「染めないのか?」

「うん」

 カラーリングしたことは一度もなかった。大学では、地味にしていれば男の人の目に止まらなかったから。なるべく地味に、大人しく。かわいい格好なんてしないように。世間の女の子と真逆の努力をした。

「無理してると色々しんどいぞ」

 最近ずいぶん慣れたけれど、大学の頃は、とにかく人との接点を絶っていないと怖かったのだ。その結果、地味になってしまっただけだった。こういうのも無理って言うのかな。

「お前、髪も服ももうちょい違う方好きだろ?」

 なんで、バレてるのかな。6年ぶりに会ったのに。何が好きとか話してもいないのに。一緒に買い物に行ったりもしてないのに。それなのに先生は怖い位に全部見透かしてくる。

「拗ねるなよ」

「拗ねてないもん」

 こんな返事をすること自体が拗ねてるようなものなのに。でも、どうしても昔の私と比べられてる気がしてしまう。
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