冷たい雨の降る夜だから
「先生は、昔の私のほうが好き?」

 私の言葉に、髪を梳いていた先生の手が止まる。

「馬鹿か、お前」

「ちょっと、馬鹿ってなに馬鹿って!!」

 思わず振り返ると、呆れた顔の先生と眼が合った。

「馬鹿な事聞くから馬鹿っつっただけだ。なんで馬鹿っていわれたか本気で判ってないなら大馬鹿だ」

「だって、絶対……昔の方が可愛かったもん」

「……大馬鹿だな、お前」

 呆れた表情の先生を見ていられなくて俯いた。だけど、昔の私のほうが今の私よりずっとずっと可愛かったのは間違いない。

 寝癖が治らなくて遅刻しそうになったり、スカートが短いって朝から生活指導の先生に捕まったり、フルーツの良い香りのするリップを使って、髪だって今よりちゃんとブローしたり、アクセサリーをつけていた。あの頃の私は、なんだかんだでちゃんと女の子だった。

 でも、今の私は、女の子とはいえない気がする。起きたら適当に後ろで髪を縛るだけ。寝癖が気になったら、まとめ髪にしてしまう。社会人として最低限だと思うファンデーションをさっと塗るだけ。似たようなシャツとパンツを前の日と同じにならない程度にローテーションするだけ。

 先生が好きなのは、きっと高校生の頃の私だ。今の私なんて、しばらく一緒に居たってきっとつまらない。

 つまらなくて……フラれちゃう? そう思うだけで、涙が滲んだ。

「昔の方が可愛かったなんて思うのは、無理してる証拠だろ。会社は学校みたいにうるさかないんだから、髪も服も好きにしろよ」

 先生が小さくため息をつくのが聞こえた。

「泣かせようと、思ってるわけじゃないんだけどな」

 先生の手が私の頭を抱き寄せて先生が呆れた様子でクスリと笑う。

「お前、泣きすぎ」

 そう言われても、どうしても涙が溢れてしまっていた。先生に抱き寄せられるままに先生の胸に顔を埋めると、耳元で優しい声が響く。

「翠、ゆっくりでいいから。いきなり全部やろうとしなくていい。ちゃんと好きな事をしなさい。大事なものを、ちゃんと大事にしなさい」

「はい」

 先生の言葉は、今の私には痛い位だった。最近毎晩のように泣いていたから、当たり前だけど涙が目に沁みて、目を擦る。そんな私の手首を先生の手が掴んだ瞬間。

 ゾクリと悪寒がして思わず先生の手を振り払ってしまって、驚いた表情の先生と眼が合って、我に返った。
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