夢見るキスと、恋するペダル
私の振る舞いを見て、航さんは「いろはみたい」とまた笑っている。

財布を渡されたが、二人ともコンクリートに座ったまま。

つかめない雰囲気をもつ彼の屈託のない笑顔に、ドキドキも落ち着き、私は自分を撫でるようにして髪の乱れを整えた。


「そんなに似てますか。見てみたいです。いろはちゃん」

少し皮肉を込めたつもりなのに、航さんは優しげな目線を落とす。伏せられた睫毛で影ができた。

「写真ならあるけどね。先週、死んじゃったからな。でも長生きしたんだよ」

「え……」


航さんは、軽く微笑むだけで何も言わない。
私も、何も言えない。

いろはちゃん……そうだったのか。


胸の奥に、熱いものがこみ上げた。
感情を殺して、冷たく保っていた私の心が。


無意識に吸い寄せられたとでも言おうか。
気がつけば私は、彼の胸にもたれかかってしまっていて。

「え……?ちょ、ちょっと、彩葉ちゃん」

頬から、ドクン、ドクンと、強い鼓動が伝わってくる。
厚い胸板。シャツ越しに伝わる、人肌の温もり。

雑然とした店舗の奥の埃っぽいスペースで、ほとんど初対面の男の人に、私は……抱きついていた。
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