そのくちづけ、その運命
彼の言ったことは本当で、アパートは駅からわずか5分のところにあった。

「上がって」

彼の部屋は予想外にシンプルで、いかにも学生の一人暮らしという感じのたたずまいだ。
物も少なく木目調の大きな本棚が2つ並べてある以外は―――

振り向きざま、それが視界に映ったとき、私は息をのんだ。

―――それは、壁にかかっていた、

キャンバスにのびのびと描かれている、一枚の絵だ。


それは、油絵で描かれている――、
濃く深い、青々とした緑の中、純白のワンピースを着た一人の少女が悠々とバイオリンを弾いている。

とても神秘的で、心を自然と穏やかに導いてくれる―

あの頃の私は、とにかくこの絵を描いた人をひと目見たいと願っていた。

この絵は確か、美術室の前に飾られていたのではなかったか。
だから、美術部の生徒が描いたものだと予想はしていたけれど…

当時の私は今よりもさらに拍車をかけて人見知りで、小心者だったので、
「この絵、誰が描いたんですか」のひと言すら出てこなかった。



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