私はミィコ
ハジメテの夜
「バスタオルは、ここに。お風呂が終わったらこれを着るようにと旦那様が」

すぐにやってきたメアリに連れられて私は浴室へと案内されていた。
一階の奥にある浴室は脱衣場の時点でとても広い。
そこで淡々と説明するメアリに、思い切って声をかけた。


「あの、」

なんでしょうか、という顔が向けられる。
間髪を入れずに続けた。


「今は言葉を話しても大丈夫ですか?」

メアリはきょと、としてすぐに吹き出す。

「ふふ、もちろん。旦那様のいないところではどうぞ、ご自由に」

「良かった……! ありがとう。えーと、メアリさん、でいいんですよね?」
「ここではそのように呼ばれております。メアリ、で構いません」
「え、本名じゃないんですか?」
「……それはミィコ様には不必要な情報ですので」

少し冷たいな、と思う反面それもそうかと納得する。


「メアリさんはここのメイドさんなんでしょうか?」
「それも特には必要のない情報かと。基本的なことは旦那さまにお聞きください。私はあなたの世話をする係ではありません」

やっぱり淡々と返される。


「いやでも、喋れなくて……」
「ああ、なるほど。そこはご自分でどうにかなさってください。他に用がないのなら私はもう行きます」
「え、ああ……有難う、ございます」

確かに、甘えすぎも良くないのかと思う。
普通の仕事だとして、何でもかんでも聞いてしまうのも良くないし。
だから私は一先ず頷いてお礼を言った。
彼女は少しだけ驚いたような顔をしたけれど、すぐに失礼します、とだけ残して部屋を出ていった。




「…………」
はぁ、と溜息が零れる。
それを誤魔化すようにはめて間もないグローブやカチューシャを外す。
一緒にウィッグもそっと外した。
コンタクトも、渡されていたケースへと外す。
これに慣れる日は来るのだろうかと少し怖い。
でも、慣れなくてはいけない。

借り物だからといつも以上に丁寧に畳んで、メアリに教えてもらったカゴへと入れる。
全てを脱いで脱衣場から浴室……バスタブのある部屋へと続く扉を開く。と、


「うわ……すっごい」

これまたテレビで見るような。
何人も入れそうな大きな丸いバスタブがあった。
バスタブとは言っても10人近くは入れてしまうんじゃと思えるほどに大きくて広い。
真ん中にはライオンの置物があり、その口からお湯が出ていた。
こんなの、現実にあるんだ。

そう思いながら改めて周りを見渡すと、シャワーも三つあるようだった。

「やっぱり温泉じゃん……」

ついそう呟きながら一つのシャワーの前の椅子に座り髪を洗い始める。

シャンプーもコンディショナーもボディーソープも見たことのないパッケージだ。
どれも香りが良くて、高いものなのかな、なんてぼんやりと考える。
洗い終えてタオルで頭を押さえてバスタブへ使った。


「ふー……気持ちいい……」


元々温泉は好きな方だと思う。
それが年を重ねるごとにより好きになった気もする。
そう言うとババ臭い、なんて言われるかもしれないが旅行に行くなら温泉に入ったり、マッサージを受けたりのんびりしたい。


「ミィコ、か……」

ぼんやりと天井を見上げて呟いてみる。
湯気がもくもくと上がっていく。
私の吐いた言葉も、それに乗せられて天井に吸い取られるみたいだった。
このお風呂場から出たら私はまたミィコになる。
彼を喜ばせなくちゃ。


……やるからには中途半端なことはしたくないなと思う。
決意を固めて浴室を後にした。



脱衣場。
メアリが置いてくれたバスタオルで体を拭く。
一緒に置かれていたのはバスローブだった。
下着がないのは穿くなということだろうかと訝る。
訊きにいく訳にもいかないし、同じものをつけるのも嫌だった。
仕方なく水分をタオルに移して、乾いた素肌へそのままバスローブを羽織る。
高いものなのか肌ざわりが柔らかく、包まれているみたいで気持ちいい。

メイクはもちろん落としたけれど化粧水もそれに準ずるようなものも何もない。
仕方なしにそのまま戻ることにする。
バスタオルを頭に乗せて、与えられた柔らかなスリッパへつま先を通す。
それを履いて脱衣場を後にした。


「あ、出られましたか」

廊下に出るとすぐ、メアリの姿があった。それに何だかホッとしてしまう。

「あの、下着、」
「ああ、旦那様からつけるなとのことでしたので」
「……」
「それでは行きましょうか。待ちくたびれていますよ、きっと」


訊きたいことを先回りされて言葉を呑む。
何でもお見通し、とばかりに微笑んだメアリに続いて先ほどの部屋の前まで。
でも、それを通りすぎて更に奥の部屋へと進む。
きょとんとする私は無視で、メアリはその扉の前で立ち止まった。
ノックをするとすぐ、声が聞こえる。


「旦那様。ミィコ様をお連れ致しましたが」
「ああ、入りなさい。もちろんミィコだけだ」
「承知しております。では、ミィコさま。おやすみなさいませ」
「え、ええ。有難う。おやすみなさい」


頭を下げるメアリにこっそりと告げる。
そして扉を開くと中は薄暗かった。


「ミィコ。こっちだ。おいで」

数回瞬きをして目を凝らす。
どうやら寝室らしい。
奥にベッドがあるようで、彼はそこにいるようだ。


「い、……にゃあ」

今行きます、と言い換えたのをやめて壁を伝って歩く。
彼も立ち上がったみたいで、手を引かれてそのままベッドへと一緒に倒れた。

「きゃ!」
「……ミィコ」


つい悲鳴を上げてしまったのは、スルーしてくれるらしい。
抱きしめられて、体温に包まれる。
まだドキドキしている。

「さあ、ここに座って」

促されて頷く。
ベッドの端へと座ると、彼はドライヤーを取り出して私の髪へと触れた。
ウィッグじゃない、私の髪。


「少し痛んでいるな……」

そんなことを言いながらもタオルに水分を吸わせて優しく丁寧に乾かして貰える。
ドライヤーの温風が心地よくて、触れる指先も気持ちが良くてうとうとしてしまう。


「ほら、終わったよ」
「!」

危うく寝そうになった肩を揺らされて、そのまま抱きしめられてベッドに引きずり込まれた。

彼の鼻先が私の髪へと押し付けられる。


「ミィコ」

何て、愛しげに呼ぶんだろうと思った。
ドキドキが止まらなくなる。
優しい大きな手が背中を撫でる。
バスローブ越しに体温が伝わって力が抜けていく。


「ん……」

その手が腰へと降りてお尻も撫でられた。
下着をつけていないせいかつい声が漏れる。
彼は他意は内容でその手をまた背中へと戻した。
……そう、私は今猫のミィコ、なんだから。
期待する方がどうにかしている。
力を抜いたまますり寄ると髪へと口付けられたのが分かった。
腕が伸びてきて頭をその上へ。
腕枕の状態で今度は額へと唇が押し付けられる。


「おやすみミィコ」

全身、というほど全体を優しく撫でられて口付けられて。
それでも嫌だと思わないのは下心が一切ないからかもしれないなとぼんやり思う。

背中を撫でられ続けると自然と睡魔がやってきて、うとうとと瞼が落ち始める。

だから私は一度だけ、
「にゃぁ」と鳴いて眠りに落ちた。
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