それはバーの片隅で

 口を開いたり閉じたりすることしか出来なくなった私を見て、篠原くんはふっと微笑んだ。

「……実は1回だけ、御崎さんが泣いてるとこ見ちゃったことあって」
「えっ」

(会社で泣いたことなんて……あっ!)

 思い出した。
 1回だけ。たった1回だけなら、社内で泣いたことがある。
 1年くらい前に、誰もいないと思ってた給湯室で。
 自信のあった企画が通らなかったことが悔しくて悔しくて、我慢できずにひとりで泣いた。

(……見られてたんだ)

「でもみんなの前ではキリっとしてるいつもの御崎さんだったし……新しい企画練り直したり、すげえって思って……。俺、御崎さんの弱音とかそういうの、受け止めたいんです」
「な、………」
「御崎さんをいっぱい甘やかしたいって思う」

 目もそらさずに、篠原くんはまっすぐ続ける。
 頬が熱い。
 頬だけじゃない。全身が心臓になったみたいに鼓動が聴こえてきて、どうしていいかわからない。
 こめられていた力が手首から離れた。
 篠原くんは笑って、頭をかく。

「だから俺、好きな女の子以外にはさわりませんよ。だから……少しずつでもいいから、考えてもらえませんか」

 男の人に「甘やかしたい」なんて、今まで言われたことなかった。
 昔からしっかり者と言われてたし、自分でも思っていた。恋人が出来ても甘やかすことばかりしてきた。




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