君が望んだ僕の嘘
4.身を焼き尽くす恋
4【身を焼き尽くす恋】
眠れないまま夜を過ごした。
日が昇るのを待って、私は海風荘を抜け出した。
なんで、こんな日も天気がいいのだろう。
朝早くから、さんさんと降り注ぐ太陽を恨めしく思った。
ふらふらと、一人、鳳凰木を目指す。
上り坂は、昨日よりも格段キツくって、もしかしたら道を間違えたのかもしれないと、何度も振り返って確認した。
睡眠不足の体は、すぐに息切れがしたけれど。
「もしかしたら、雪人が待ってるかもしれない」
一縷の望みにすがって、丘を登りきった。
鳳凰木は様相を一変させていた。
昨日のにわか雨のせいで、緋色の花がずいぶんと落ちてしまっていた。
すかすかとみすぼらしくなった梢とは裏腹に、地面は落ちた花弁に覆われて、一面鮮やかな緋色に染め上げられていた。
その一面の緋色の中に、雪人の青いビーチサンダルが散乱していた。
拾い上げると、夜露と朝露を含んだサンダルはじっとりと濡れて重ったるくなっていた。
「・・雪人。
やっぱり、どうしても、昨日は夢にはならないのね」
ビーチサンダルを抱きしめ、強く強く唇を噛みしめた。
あの時、あの瞬間で時間を止めてくれるというなら、どんなものだって差し出すのに。
悪魔でも死に神でもいい。
なんでもするから、今からでも、あの時間にも戻って時間をとめてほしいと、本気で祈った。
「あぁ、やっぱりここにいたね」
悲しくも優しい声に誘われて、顔を上げてみると、よしオバアだった。
よしオバアは痛々しげに、ビーチサンダルと私を見比べてから、「よいしょ」と私の隣に腰を下ろした。
「なあ、美羽さんよ。
覚えてる?
オバアがしてあげた鳳凰木の花の話よ」
よしオバアは、地面に落ちた花を一輪拾い上げると、いつものように一人で話し始めた。
「鳳凰木はよ、夏の始めに、まず真っ赤な花が咲いて、ぼうぼうと梢を燃やすんだと。
それでよ、花の炎に耐えかねて、梢が花を落とす。
燃え落ちた花は、色褪せることもなく、大地を覆って焼き尽くす。
そうやって、夏の灼熱を連れてくる。
この話はね、美羽さん。
近々の別れが決まっている恋とよく似てるんだよ。
小さく灯った恋の火が、燃えるうちに重みに耐えかねて落ちる。
でもよ、落ちても火は消えないんだよ。
決して決してね。
恋の火は燃え上がって、我が身さえ燃やすんだ。
綺麗だけれど、辛い恋さ。
自分では、もうどう足掻いても止められないんだからね。
美羽さん、あんたも、そんな恋をしてしまったんだね」
労りの滲む声が、じんわりと染み入った。
「うぅ・・うわぁああああ!」
私はよしオバアに縋って、大声で泣いた。
ようやく、泣けた。
よしオバアは、涙の発作が終わるまで、ずっとずっと私の背中を撫でてくれていた。
「よしオバアも、辛い恋をしたの?」
さんざん泣いて、少し落ち着いてきた私は、よしオバアの胸に顔を埋めたまま、かすれた声で尋ねてみた。
どんなことでもいい。
ほんの少しでもいい。
救いが欲しかったのだ。
「うん、そうよ。
オバアはね、オジーと早く死に別れた。
一緒に過ごせた時間は、一年にも満たなかったんだよ」
「いっぱい泣いた?」
「あぁ、泣いたさ。
朝も昼も夜も、目玉が溶けるくらい泣いたよ。
今の美羽さんみたいにね」
よしオバアはふくふくの頬に優しい笑みを浮かべて、泣きはらした私の目元をそっと撫でてくれた。
「オバアはよ、オジーなんかと出会わなければよかったと、何度も思ったよ。
さっさと死によったオジーのことも恨んだよ。
憎みもしたよ。
それでもよ、やっぱりどうしたって、オバアはオジーに惚れきっているやさ。
もう諦めたよ」
よしオバアが、まあるい肩をひょいとすくめてみせた。
「よしオバア、苦しいよ。
こんなの、もう嫌だ。
どうやったら、オバアみたいに辛くなくなるの?
諦めればいいの?」
胸を押しつぶす苦しさを、一刻も早く吐き出したくて、よしオバアの肩を揺さぶった。
「落ち着いて、美羽さん。
おばあの話をよくききなさい。
オバアが諦めるしかなかったのは、オジーを好きという気持ちを消すことさ。
そんでねぇ、いまのあんたにゃ、むごいかもしれんけどよ。
好きという気持ちが消えない限り、苦しいのはなくならんよ」
取り乱した私を、よしオバアは大きな腕で抱き留めた。
赤ちゃんをあやすように、ゆっさゆっさと揺さぶって、ゆっくりと宥めてくれた。
「・・絶対に?」
「絶対に。
オバアみたいに時間が経つとよ、薄くなったり、形が変わったりするけどさ。
やはり苦しさは消えんよ。
オバアは今でも、時々オジーを思いだしては、切なくて哀しくて、泣くことがあるからね。
それが本当の恋ってもんよ」
どんと胸を張るオバアは、とても誇らしげだった。
「なあ、美羽さんよ。
苦しいだろうけど、辛いだろうけど、今は気張りなさいよ。
あんた達の時間は、限られているんだよ。
今しか、できん事がある。
やっておかないと、一生後悔する事よ」
よしオバアの言葉は慈しみにあふれているけれど、優しくはなかった。
千切れそうな感情に引きずられ、首は嫌だ嫌だと横に振れそうになった。
雪人を思い、ぐっと堪えた。
よしオバアの誇らしげな様に勇気づけられ、なんとかぎくしゃくと頷いた。
「あんたは、やっぱり良い子やっさ。
さあ、今すぐ海風荘に帰りなさい。
美羽さんにお客さんが来てるよ」
よしオバアはとびっきりの笑顔で、私の背中をどやしつけた。
眠れないまま夜を過ごした。
日が昇るのを待って、私は海風荘を抜け出した。
なんで、こんな日も天気がいいのだろう。
朝早くから、さんさんと降り注ぐ太陽を恨めしく思った。
ふらふらと、一人、鳳凰木を目指す。
上り坂は、昨日よりも格段キツくって、もしかしたら道を間違えたのかもしれないと、何度も振り返って確認した。
睡眠不足の体は、すぐに息切れがしたけれど。
「もしかしたら、雪人が待ってるかもしれない」
一縷の望みにすがって、丘を登りきった。
鳳凰木は様相を一変させていた。
昨日のにわか雨のせいで、緋色の花がずいぶんと落ちてしまっていた。
すかすかとみすぼらしくなった梢とは裏腹に、地面は落ちた花弁に覆われて、一面鮮やかな緋色に染め上げられていた。
その一面の緋色の中に、雪人の青いビーチサンダルが散乱していた。
拾い上げると、夜露と朝露を含んだサンダルはじっとりと濡れて重ったるくなっていた。
「・・雪人。
やっぱり、どうしても、昨日は夢にはならないのね」
ビーチサンダルを抱きしめ、強く強く唇を噛みしめた。
あの時、あの瞬間で時間を止めてくれるというなら、どんなものだって差し出すのに。
悪魔でも死に神でもいい。
なんでもするから、今からでも、あの時間にも戻って時間をとめてほしいと、本気で祈った。
「あぁ、やっぱりここにいたね」
悲しくも優しい声に誘われて、顔を上げてみると、よしオバアだった。
よしオバアは痛々しげに、ビーチサンダルと私を見比べてから、「よいしょ」と私の隣に腰を下ろした。
「なあ、美羽さんよ。
覚えてる?
オバアがしてあげた鳳凰木の花の話よ」
よしオバアは、地面に落ちた花を一輪拾い上げると、いつものように一人で話し始めた。
「鳳凰木はよ、夏の始めに、まず真っ赤な花が咲いて、ぼうぼうと梢を燃やすんだと。
それでよ、花の炎に耐えかねて、梢が花を落とす。
燃え落ちた花は、色褪せることもなく、大地を覆って焼き尽くす。
そうやって、夏の灼熱を連れてくる。
この話はね、美羽さん。
近々の別れが決まっている恋とよく似てるんだよ。
小さく灯った恋の火が、燃えるうちに重みに耐えかねて落ちる。
でもよ、落ちても火は消えないんだよ。
決して決してね。
恋の火は燃え上がって、我が身さえ燃やすんだ。
綺麗だけれど、辛い恋さ。
自分では、もうどう足掻いても止められないんだからね。
美羽さん、あんたも、そんな恋をしてしまったんだね」
労りの滲む声が、じんわりと染み入った。
「うぅ・・うわぁああああ!」
私はよしオバアに縋って、大声で泣いた。
ようやく、泣けた。
よしオバアは、涙の発作が終わるまで、ずっとずっと私の背中を撫でてくれていた。
「よしオバアも、辛い恋をしたの?」
さんざん泣いて、少し落ち着いてきた私は、よしオバアの胸に顔を埋めたまま、かすれた声で尋ねてみた。
どんなことでもいい。
ほんの少しでもいい。
救いが欲しかったのだ。
「うん、そうよ。
オバアはね、オジーと早く死に別れた。
一緒に過ごせた時間は、一年にも満たなかったんだよ」
「いっぱい泣いた?」
「あぁ、泣いたさ。
朝も昼も夜も、目玉が溶けるくらい泣いたよ。
今の美羽さんみたいにね」
よしオバアはふくふくの頬に優しい笑みを浮かべて、泣きはらした私の目元をそっと撫でてくれた。
「オバアはよ、オジーなんかと出会わなければよかったと、何度も思ったよ。
さっさと死によったオジーのことも恨んだよ。
憎みもしたよ。
それでもよ、やっぱりどうしたって、オバアはオジーに惚れきっているやさ。
もう諦めたよ」
よしオバアが、まあるい肩をひょいとすくめてみせた。
「よしオバア、苦しいよ。
こんなの、もう嫌だ。
どうやったら、オバアみたいに辛くなくなるの?
諦めればいいの?」
胸を押しつぶす苦しさを、一刻も早く吐き出したくて、よしオバアの肩を揺さぶった。
「落ち着いて、美羽さん。
おばあの話をよくききなさい。
オバアが諦めるしかなかったのは、オジーを好きという気持ちを消すことさ。
そんでねぇ、いまのあんたにゃ、むごいかもしれんけどよ。
好きという気持ちが消えない限り、苦しいのはなくならんよ」
取り乱した私を、よしオバアは大きな腕で抱き留めた。
赤ちゃんをあやすように、ゆっさゆっさと揺さぶって、ゆっくりと宥めてくれた。
「・・絶対に?」
「絶対に。
オバアみたいに時間が経つとよ、薄くなったり、形が変わったりするけどさ。
やはり苦しさは消えんよ。
オバアは今でも、時々オジーを思いだしては、切なくて哀しくて、泣くことがあるからね。
それが本当の恋ってもんよ」
どんと胸を張るオバアは、とても誇らしげだった。
「なあ、美羽さんよ。
苦しいだろうけど、辛いだろうけど、今は気張りなさいよ。
あんた達の時間は、限られているんだよ。
今しか、できん事がある。
やっておかないと、一生後悔する事よ」
よしオバアの言葉は慈しみにあふれているけれど、優しくはなかった。
千切れそうな感情に引きずられ、首は嫌だ嫌だと横に振れそうになった。
雪人を思い、ぐっと堪えた。
よしオバアの誇らしげな様に勇気づけられ、なんとかぎくしゃくと頷いた。
「あんたは、やっぱり良い子やっさ。
さあ、今すぐ海風荘に帰りなさい。
美羽さんにお客さんが来てるよ」
よしオバアはとびっきりの笑顔で、私の背中をどやしつけた。