君が望んだ僕の嘘
6.君をずっと待っている
5【君をずっと待っている】
ホスピスは、思っていたものと全然違った。
からりと明るかった。
談話室と銘打たれたカフェは、表参道に混じっていても違和感ないくらいお洒落だったし、中庭にはコテージまであった。
見舞い客の宿泊施設らしい。
「雪人クンにご面会ですね。
今はお部屋にいらっしゃいますよ〜」
受付のお姉さんは陽気だし、どこを見渡しても暗い顔をしている人はいない。
病院なら当たり前にうろついている白衣や入院服さえ、見あたらなかった。
「へーい、そこのカーワユイ彼女!
おじさんとお茶しない?」
とシルバーグレイのおじさまにナンパまでされた。
「本当にここ、病院なのかな?」
きょときょとと挙動不審気味に辺りを窺いつつも、雪人の部屋を探しあてた。
真鍮製の豪華なナンバープレートを避けて、飴色の扉をノックした。
「どーぞ」
扉越しでくぐもっているけれど、深く響く声は確かに雪人のものだった。
「よかったぁ、雪人だ」
滲んでしまった涙をきっちり拭ってから、そっと扉を開ける。
「なんだ、美羽かよ。
やっぱり来ちまったのか」
もしかしたら怒鳴られるかもと思っていたけれど、雪人は穏やかに私を迎え入れてくれた。
「うん、来ちゃった」
「うわ、今、世界で一番ときめかない『来ちゃった』を目の当たりにしたわ」
雪人が笑ったから、いつもみたいに軽口を叩いた。
雪人も応戦したが、どうしても切れが悪い。
お互いに無理しているのが、もろ分かりだった。
苦しいだけの応酬はすぐに途切れ、私達は視線を逸らしあった。
雪人はベッドの上にいた。
両腕にたくさんの管が入っていて、まるで縛りつけられているみたいに見えた。
ぶら下がった点滴パックや、目立たないようデザインされたナースコール、何より土気色した雪人の顔色が、まざまざと私に見せつける。
まだまだ遠いと思いこんでいた静謐の中に、雪人はいるのだと。
「あのさ、恋人契約のことだけどな。
別に、お前じゃなくても誰でもよかったんだ」
思い立ったように、雪人が話し出した。
話しにくそうに、頻りにシーツの端を揉んでいる。
私の事も見ようとはしなかった。
「うん」
話しやすいように、私はただ軽い相づちだけを打つ事にした。
「俺さ、本気で誰かを好きになったことなんて無かったんだ。
告白されてつき合ったこともあるけど、どれも本気になんてなれなかった。
いっつも自然消滅で、恋愛なんてこんなもんだって高くくってた」
「うん」
「彼女に振り回されてる友達を見ても、情けないとしか思わなかった」
「うん」
「でも、急に病気になって、余命まで切られてさ。
そんで、やったことないのは、何だろうって考えたらさ。
・・・本気の恋ぐらいだなって」
「そっか」
「とは言うものの、島には婆さんや小母さんばっかだろ。
流石に、遙か年上相手に、恋愛のまねごとするつもりにはなれなかった。
だから、恋するのは諦めたんだ。
けれども、諦めたとたん、あの日、お前が現れた」
ようやく、雪人の視線がちらと私に流れた。
「そうだったんだ」
私はホッとした。
「最初は、真似事でいいやって、軽い気持ちだった。
一緒に過ごして、ちょっとくらいキスしたりして。
あわよくばその先も、なんてな。
なんせ、初対面で水色ストライプ大公開だったもんな。
エロい期待もするってもんだ。
まあ、三分後には期待できないって判明したけどな」
初対面シーンを思い出したのか、手元を見つめたままだが、雪人は微かに笑った。
「その節はどーも」
まさか水色ストライプから、そんな破廉恥な期待を展開していたとは思ってもみなかった。
少しむかっとした。
「ただ楽しく過ごせれば良いって思ってた。
お前が島から出て行ったら、恋人ごっこも終わり。
そんな結末で、満足するつもりだった。
もう俺には続きはないって、分かり切ってたから。
それなのに・・」
言いさして、ぶつんと断ち切られたように、雪人の目が艶を失った。
もう何も見たくないとでも言いたげに、固く瞼が閉じられる。
「ちくしょう!!
恋なんて、しなけりゃよかった!!」
血を吐くような怒声をあげ、雪人は力の限りにベッドを殴りつけた。
点滴パックが床に飛び散り、漏れ出た液が床に広がっていく。
『雪人くーん、どうしました?
あれ〜?雪人くーん。
お返事お願いしまーす』
ナースコールに触れてしまったのだろうか。
スピーカーから、場違いに明るい看護師の声がする。
「大変!」
私は慌てて床に膝を突き、パックをかき集めた。
「帰れよ。
もういい」
雪人がいらいらと私を睨み据えた。
「でも、雪人、点滴が。
腕からも血が出てる!」
「そんなもん、どうでもいいから!」
雪人がまたベッドを殴った。
管から血が逆流して、シーツの上におどろおどろしい水玉模様を描いた。
これ以上、興奮させたくなくて、私はそっと点滴パックから手を離した。
「・・頼む、帰ってくれ。
恋人ごっこはもう終わりだ。
お前は最初の契約通り、全部忘れろ」
食いしばった歯の隙間から、雪人はへたれた懇願を絞り出した。
「・・分かった。
契約の通りにする。
契約によると、恋人期間は私が島を出るまでだよね?
そろそろ、契約期間切れるんだよ。
私がこの島に来て、もうすぐ一ヶ月経つからね。
私、三日後の船で帰る。
それまでは契約は履行する」
雪絵さんの真似をして、淡々と言いまくってやった。
「お前の好きにしろ。
でも、ここには絶対に来るな」
それでも、雪人は答えを変えない。
「絶対に、ここになんか来るもんですか。
私は鳳凰木の下で君を待つから」
全然私を見ない雪人に、最後通告をぶっつけて、私は病室を出た。
「ふんだ。
雪人の馬鹿!
ヘタレチキン!」
入れ違いに、駆け足の看護師が病室に入っていくのを見届けてから、つきたくてもつけなかった悪態を廊下に落とし、ホスピスを後にした。
ホスピスは、思っていたものと全然違った。
からりと明るかった。
談話室と銘打たれたカフェは、表参道に混じっていても違和感ないくらいお洒落だったし、中庭にはコテージまであった。
見舞い客の宿泊施設らしい。
「雪人クンにご面会ですね。
今はお部屋にいらっしゃいますよ〜」
受付のお姉さんは陽気だし、どこを見渡しても暗い顔をしている人はいない。
病院なら当たり前にうろついている白衣や入院服さえ、見あたらなかった。
「へーい、そこのカーワユイ彼女!
おじさんとお茶しない?」
とシルバーグレイのおじさまにナンパまでされた。
「本当にここ、病院なのかな?」
きょときょとと挙動不審気味に辺りを窺いつつも、雪人の部屋を探しあてた。
真鍮製の豪華なナンバープレートを避けて、飴色の扉をノックした。
「どーぞ」
扉越しでくぐもっているけれど、深く響く声は確かに雪人のものだった。
「よかったぁ、雪人だ」
滲んでしまった涙をきっちり拭ってから、そっと扉を開ける。
「なんだ、美羽かよ。
やっぱり来ちまったのか」
もしかしたら怒鳴られるかもと思っていたけれど、雪人は穏やかに私を迎え入れてくれた。
「うん、来ちゃった」
「うわ、今、世界で一番ときめかない『来ちゃった』を目の当たりにしたわ」
雪人が笑ったから、いつもみたいに軽口を叩いた。
雪人も応戦したが、どうしても切れが悪い。
お互いに無理しているのが、もろ分かりだった。
苦しいだけの応酬はすぐに途切れ、私達は視線を逸らしあった。
雪人はベッドの上にいた。
両腕にたくさんの管が入っていて、まるで縛りつけられているみたいに見えた。
ぶら下がった点滴パックや、目立たないようデザインされたナースコール、何より土気色した雪人の顔色が、まざまざと私に見せつける。
まだまだ遠いと思いこんでいた静謐の中に、雪人はいるのだと。
「あのさ、恋人契約のことだけどな。
別に、お前じゃなくても誰でもよかったんだ」
思い立ったように、雪人が話し出した。
話しにくそうに、頻りにシーツの端を揉んでいる。
私の事も見ようとはしなかった。
「うん」
話しやすいように、私はただ軽い相づちだけを打つ事にした。
「俺さ、本気で誰かを好きになったことなんて無かったんだ。
告白されてつき合ったこともあるけど、どれも本気になんてなれなかった。
いっつも自然消滅で、恋愛なんてこんなもんだって高くくってた」
「うん」
「彼女に振り回されてる友達を見ても、情けないとしか思わなかった」
「うん」
「でも、急に病気になって、余命まで切られてさ。
そんで、やったことないのは、何だろうって考えたらさ。
・・・本気の恋ぐらいだなって」
「そっか」
「とは言うものの、島には婆さんや小母さんばっかだろ。
流石に、遙か年上相手に、恋愛のまねごとするつもりにはなれなかった。
だから、恋するのは諦めたんだ。
けれども、諦めたとたん、あの日、お前が現れた」
ようやく、雪人の視線がちらと私に流れた。
「そうだったんだ」
私はホッとした。
「最初は、真似事でいいやって、軽い気持ちだった。
一緒に過ごして、ちょっとくらいキスしたりして。
あわよくばその先も、なんてな。
なんせ、初対面で水色ストライプ大公開だったもんな。
エロい期待もするってもんだ。
まあ、三分後には期待できないって判明したけどな」
初対面シーンを思い出したのか、手元を見つめたままだが、雪人は微かに笑った。
「その節はどーも」
まさか水色ストライプから、そんな破廉恥な期待を展開していたとは思ってもみなかった。
少しむかっとした。
「ただ楽しく過ごせれば良いって思ってた。
お前が島から出て行ったら、恋人ごっこも終わり。
そんな結末で、満足するつもりだった。
もう俺には続きはないって、分かり切ってたから。
それなのに・・」
言いさして、ぶつんと断ち切られたように、雪人の目が艶を失った。
もう何も見たくないとでも言いたげに、固く瞼が閉じられる。
「ちくしょう!!
恋なんて、しなけりゃよかった!!」
血を吐くような怒声をあげ、雪人は力の限りにベッドを殴りつけた。
点滴パックが床に飛び散り、漏れ出た液が床に広がっていく。
『雪人くーん、どうしました?
あれ〜?雪人くーん。
お返事お願いしまーす』
ナースコールに触れてしまったのだろうか。
スピーカーから、場違いに明るい看護師の声がする。
「大変!」
私は慌てて床に膝を突き、パックをかき集めた。
「帰れよ。
もういい」
雪人がいらいらと私を睨み据えた。
「でも、雪人、点滴が。
腕からも血が出てる!」
「そんなもん、どうでもいいから!」
雪人がまたベッドを殴った。
管から血が逆流して、シーツの上におどろおどろしい水玉模様を描いた。
これ以上、興奮させたくなくて、私はそっと点滴パックから手を離した。
「・・頼む、帰ってくれ。
恋人ごっこはもう終わりだ。
お前は最初の契約通り、全部忘れろ」
食いしばった歯の隙間から、雪人はへたれた懇願を絞り出した。
「・・分かった。
契約の通りにする。
契約によると、恋人期間は私が島を出るまでだよね?
そろそろ、契約期間切れるんだよ。
私がこの島に来て、もうすぐ一ヶ月経つからね。
私、三日後の船で帰る。
それまでは契約は履行する」
雪絵さんの真似をして、淡々と言いまくってやった。
「お前の好きにしろ。
でも、ここには絶対に来るな」
それでも、雪人は答えを変えない。
「絶対に、ここになんか来るもんですか。
私は鳳凰木の下で君を待つから」
全然私を見ない雪人に、最後通告をぶっつけて、私は病室を出た。
「ふんだ。
雪人の馬鹿!
ヘタレチキン!」
入れ違いに、駆け足の看護師が病室に入っていくのを見届けてから、つきたくてもつけなかった悪態を廊下に落とし、ホスピスを後にした。