君が望んだ僕の嘘
第三章《期間限定の恋人》
1.契約開始は、なしくずし的に
第三章《期間限定の恋人》
1【契約開始はなし崩し的に】
「待ってろ、雪人め!」
翌日の同時刻、私は肩を怒らせて、鳳凰木へと向かっていた。
当初、紙片での呼び出しなど、無視してやろうと思っていた。
だが、一晩ゆっくり寝たら、更に猛然と腹が立ってきたのだ。
だって、よくよく考えたら、だ。
今回の件は、私が一方的に悪いのではない。
そりゃ、雪人のお腹を踏んづけちゃったし、猥褻物を陳列しちゃったりしたけど、あれは事故だ。
不可抗力だ。
よって、期間限定の恋人だなんて言うふざけた契約の破棄と、ヤツから謝罪を引きずり出すために、私は戦う事を誓います!
戦闘意欲は満々だ。
服だって、お洒落っけのないシャージだ。
靴も、機能性に優れたスニーカーだぜ。
丘を上る道を、ズシンズシンと踏みならして登りゆく。
昨日は命ごいする農民だったが、今日の私はシン・ゴジラな気分だ。
口から漏れる独り言も、ゴジラ並に火を噴くぞ!
「そうよ、私は悪くない!
どっちかっていうと、私の名誉のほうが激しく傷ついたわ。
年頃の娘が、スカートの中身、見られちゃったんだし。
謝られこそすれ、私が謝るなんて変よ。
あいつ、ごめんなんて、一言も・・あ、そっか。
昨日は動揺しすぎて、私が一方的に謝罪しまくったんだったか。
おぉう、恐るべき犯罪心理。
冤罪ってこうして成立するのかもね。
ヒドい話よねぇ。
許せないっ!」
冤罪発生の深淵に思いを馳せ、その理不尽さに鼻息が荒くなった。
その勢いのまま、坂の残りを駆け上がり、緋色の梢めがけて、大声で名乗りを上げた。
「俺様男、もとい雪人!
来たわよ!
さあ!白黒つけようじゃないの!」
「お前、現れるなり、なに素っ頓狂な発言してんだよ。
本当に全てにおいて、唐突な女だな」
雪人がひょっこりと鳳凰木の陰から顔を出した。
シンプルなカーキ色のカーゴパンツ姿だ。
長い足が際立って、絶妙にムカつく。
憎たらしくも、本日も麗しく整った顔には、「お前バカじゃねぇの?」とでかでかと書いてあった。
「素っ頓狂ですって?
冒頭から言ってくれるじゃないの!」
「お前、本っ当に何言ってんの?
馬鹿言ってないで、挨拶くらいはしろよ。
人として、最低限の礼儀だぞ」
「おぐっ!」
真っ当なお説教をくらい、私は言葉に詰まった。
常識を愛する小心者の哀しい性である。
「はいはい、挨拶するぞ。
おら、こっち来い」
あっ!と思った時には、雪人の腕の中だった。
少し体温の低い腕が、柔らかくしなって背中を包み込む。
「・・・・・・美羽」
私の名前を呼ぶより前に、雪人は極々小さく囁いた。
たぶん「来てくれて、ありがとう」だと思う。
囁きは衣擦れよりも小さかったから、はっきりとは聞き取れなかった。
はっきりと感じ取れたのは・・。
チュッ!
私の唇の上で弾けるリップ音。
そして、柔らかくてひんやりとした雪人の唇だった。
「ぃぎゃあああああ!」
私は大悲鳴を上げた。
雪人の腕を振りきり、遙か後方へと、エビのごとく驚異的跳躍をみせた。
「なにすんの!
なにすんのよぉおお!」
ジャージの裾を目一杯伸ばし、発火しそうな勢いで、雪人と触れ合った唇を擦りまくった。
「何って、挨拶。
恋人がする挨拶っていったら、キス一択だろうが。
それよりも、なんちゅう色気のない悲鳴あげるんだよ。
初デートだってのに、ジャージだし。
まあ、今日に限っては、ジャージはちょうど良かったけどな」
雪人は、しゃあしゃあと毒舌混じりの独自理論を展開した。
「いきなり、キ・キスなんて酷い!」
怒りと衝撃で強ばる喉を叱咤して、怒鳴り返した。
お恥ずかしながら、私は、彼氏いない歴がイコール年齢だ。
当然、キスだって、初めてだった。
・・・なけなしの見栄を張って言わせてもらえば、幼稚園の時、お隣の席のリク君と遊び半分でほっぺにして以来、ずーっと長らくご無沙汰だ。
それなのに、こいつ!
挨拶代わりに、気軽にしやがって!
「ふ・・ふぐぅ・・」
悔しくて悔しくて。
泣きたくないのに、ぼろぼろと涙が出てきた。
泣き顔を見られたくなくて、その場にしゃがみ込んで膝を抱えた。
「えっ!?
ちょっと、おい、マジで泣いてんの!?
・・うわぁ、参ったなぁ。
おい、泣くなよ、美羽」
焦りまくった雪人が、丸まる私の周りを右往左往している足音が聞こえた。
「あ〜もう!
悪かった!
謝るから、泣きやんでくれよ。
本当ごめん。
誓って、もうしないからさ」
弱り果てた声が降ってきた。
「・・本当に、もうしない?」
顔を伏せたまま問いかけると、雪人は神妙に答えた。
「絶対しない。
美羽にねだられない限りは」
ただし、発言内容は相変わらず不遜だ。
「いや、私からねだるとか絶対ないし!」
思わず顎を跳ね上げツッコミを入れた。
「お。泣きやんだか。
よかった」
伏せていたせいで、ちかちかする視界の中で、雪人が嬉しそうに笑った。
無防備な笑顔が無駄に綺麗で、ちょっぴり毒気を抜かれた。
本当、こう言う時、美形ってずるい。
「泣きやんだなら、行くか」
雪人がさっさと私の手を引いて立たせた。
そうして、せっかちに、丘の下へと私を引きずっていく。
「はえ?行くってどこに?
いやいや、待ちなさいよ。
その前に恋人契約を」
「契約内容の更新は承った。
心配すんな。
もう美羽を泣かせる真似なんかしねぇよ。
それより、早く行こう。
港に船を待たせてあるんだ。
今日のデートは海釣りだ」
「はぁ?!海釣り?」
急展開に、私は目を白黒させた。
「そ。しかも今日の船頭は、島一番の漁師、隆生ジイだ。
大漁は確実だぜ。
今夜の夕飯は、タイやヒラメの舞踊りだな。
煮付けやバター焼きも美味いぞ」
「なんですって?」
脊髄反射で瞳が輝いてしまう。
そして、脳裏には、魚料理の映像が自動再生された。
ついで、鼻孔には映像に伴って、お醤油の良い香や、バターの香ばしさが再現された。
ごくり!
つい、だ。
つい生唾を飲み込んでしまった。
「今の時期、ハタがよく釣れるそうだ。
ハタっていったら、高級魚だぞ。
塩焼きにすると、白身がとろけるんだってよ。
パリパリに焼けた香ばしい皮。
皮の下に隠れてるのは、円やかな白に輝く身。
そこに、ぎゅっとレモンをひとたらしだ。
・・美味いぞ?」
私の心が激しく揺れ動いたのを察したのか、雪人は悪魔よろしく囁いた。
そして、私は堕ちた。
「早く行こう!
ほらほら、島一番の漁師を待たすんじゃないわよ!」
高級魚に目の眩んだワタクシは、雪人の手を引っ張って、丘を駆け下りたのだった。
さて、結果から言いますと、釣果は大漁旗だった。
もちろん、その日の夕飯は大ご馳走だ。
まさにタイやヒラメの舞踊りだった。
刺身に煮付け、塩煮、バター焼き。
アクアパッツァや唐揚げ、つくね汁などなど。
食卓を埋め尽くす魚料理は、どれもこれも、ほっぺが落ちるくらい美味しかった。
「うわぁ、上等〜。
ありがとうね、美羽さん。
オバアは島生まれだけど、こんっなに大きくて美味しい魚は食べたことがないよ。
本当にありがとうねぇ」
海風荘のよしオバアも大喜びだった。
大満足の宴が終わり、
「はぁ〜、美味しかったぁ」
ぽんぽこりんになったお腹を擦って、ごろんと畳に寝転がった。
「こぉれ、美羽さん。
食べてすぐに横になると、牛になるよ」
「でへへへ。ごめーん。
ちょっとだけだから」
幸せすぎて、オバアのお小言でさえ心地良い。
満足感に顎まで浸って思い出すのは、別れ際の雪人だ。
「明日も同じ場所で、同じ時間な」
俺様なくせに、ほんの少しだけ不安そうに小首を傾げて、約束を口にした。
意地悪したくなって「気が向いたらね」なんて、言い捨てて帰ってきたけど。
「明日も行ってやろうかな」
ご馳走がたっぷり詰まったお腹をぽんと叩き、私は一人頬笑んだ。
こうして、奇妙な恋人契約はご馳走に紛れて、なし崩し的に開始されてしまったのである。
いやぁ、食欲って怖いね。
1【契約開始はなし崩し的に】
「待ってろ、雪人め!」
翌日の同時刻、私は肩を怒らせて、鳳凰木へと向かっていた。
当初、紙片での呼び出しなど、無視してやろうと思っていた。
だが、一晩ゆっくり寝たら、更に猛然と腹が立ってきたのだ。
だって、よくよく考えたら、だ。
今回の件は、私が一方的に悪いのではない。
そりゃ、雪人のお腹を踏んづけちゃったし、猥褻物を陳列しちゃったりしたけど、あれは事故だ。
不可抗力だ。
よって、期間限定の恋人だなんて言うふざけた契約の破棄と、ヤツから謝罪を引きずり出すために、私は戦う事を誓います!
戦闘意欲は満々だ。
服だって、お洒落っけのないシャージだ。
靴も、機能性に優れたスニーカーだぜ。
丘を上る道を、ズシンズシンと踏みならして登りゆく。
昨日は命ごいする農民だったが、今日の私はシン・ゴジラな気分だ。
口から漏れる独り言も、ゴジラ並に火を噴くぞ!
「そうよ、私は悪くない!
どっちかっていうと、私の名誉のほうが激しく傷ついたわ。
年頃の娘が、スカートの中身、見られちゃったんだし。
謝られこそすれ、私が謝るなんて変よ。
あいつ、ごめんなんて、一言も・・あ、そっか。
昨日は動揺しすぎて、私が一方的に謝罪しまくったんだったか。
おぉう、恐るべき犯罪心理。
冤罪ってこうして成立するのかもね。
ヒドい話よねぇ。
許せないっ!」
冤罪発生の深淵に思いを馳せ、その理不尽さに鼻息が荒くなった。
その勢いのまま、坂の残りを駆け上がり、緋色の梢めがけて、大声で名乗りを上げた。
「俺様男、もとい雪人!
来たわよ!
さあ!白黒つけようじゃないの!」
「お前、現れるなり、なに素っ頓狂な発言してんだよ。
本当に全てにおいて、唐突な女だな」
雪人がひょっこりと鳳凰木の陰から顔を出した。
シンプルなカーキ色のカーゴパンツ姿だ。
長い足が際立って、絶妙にムカつく。
憎たらしくも、本日も麗しく整った顔には、「お前バカじゃねぇの?」とでかでかと書いてあった。
「素っ頓狂ですって?
冒頭から言ってくれるじゃないの!」
「お前、本っ当に何言ってんの?
馬鹿言ってないで、挨拶くらいはしろよ。
人として、最低限の礼儀だぞ」
「おぐっ!」
真っ当なお説教をくらい、私は言葉に詰まった。
常識を愛する小心者の哀しい性である。
「はいはい、挨拶するぞ。
おら、こっち来い」
あっ!と思った時には、雪人の腕の中だった。
少し体温の低い腕が、柔らかくしなって背中を包み込む。
「・・・・・・美羽」
私の名前を呼ぶより前に、雪人は極々小さく囁いた。
たぶん「来てくれて、ありがとう」だと思う。
囁きは衣擦れよりも小さかったから、はっきりとは聞き取れなかった。
はっきりと感じ取れたのは・・。
チュッ!
私の唇の上で弾けるリップ音。
そして、柔らかくてひんやりとした雪人の唇だった。
「ぃぎゃあああああ!」
私は大悲鳴を上げた。
雪人の腕を振りきり、遙か後方へと、エビのごとく驚異的跳躍をみせた。
「なにすんの!
なにすんのよぉおお!」
ジャージの裾を目一杯伸ばし、発火しそうな勢いで、雪人と触れ合った唇を擦りまくった。
「何って、挨拶。
恋人がする挨拶っていったら、キス一択だろうが。
それよりも、なんちゅう色気のない悲鳴あげるんだよ。
初デートだってのに、ジャージだし。
まあ、今日に限っては、ジャージはちょうど良かったけどな」
雪人は、しゃあしゃあと毒舌混じりの独自理論を展開した。
「いきなり、キ・キスなんて酷い!」
怒りと衝撃で強ばる喉を叱咤して、怒鳴り返した。
お恥ずかしながら、私は、彼氏いない歴がイコール年齢だ。
当然、キスだって、初めてだった。
・・・なけなしの見栄を張って言わせてもらえば、幼稚園の時、お隣の席のリク君と遊び半分でほっぺにして以来、ずーっと長らくご無沙汰だ。
それなのに、こいつ!
挨拶代わりに、気軽にしやがって!
「ふ・・ふぐぅ・・」
悔しくて悔しくて。
泣きたくないのに、ぼろぼろと涙が出てきた。
泣き顔を見られたくなくて、その場にしゃがみ込んで膝を抱えた。
「えっ!?
ちょっと、おい、マジで泣いてんの!?
・・うわぁ、参ったなぁ。
おい、泣くなよ、美羽」
焦りまくった雪人が、丸まる私の周りを右往左往している足音が聞こえた。
「あ〜もう!
悪かった!
謝るから、泣きやんでくれよ。
本当ごめん。
誓って、もうしないからさ」
弱り果てた声が降ってきた。
「・・本当に、もうしない?」
顔を伏せたまま問いかけると、雪人は神妙に答えた。
「絶対しない。
美羽にねだられない限りは」
ただし、発言内容は相変わらず不遜だ。
「いや、私からねだるとか絶対ないし!」
思わず顎を跳ね上げツッコミを入れた。
「お。泣きやんだか。
よかった」
伏せていたせいで、ちかちかする視界の中で、雪人が嬉しそうに笑った。
無防備な笑顔が無駄に綺麗で、ちょっぴり毒気を抜かれた。
本当、こう言う時、美形ってずるい。
「泣きやんだなら、行くか」
雪人がさっさと私の手を引いて立たせた。
そうして、せっかちに、丘の下へと私を引きずっていく。
「はえ?行くってどこに?
いやいや、待ちなさいよ。
その前に恋人契約を」
「契約内容の更新は承った。
心配すんな。
もう美羽を泣かせる真似なんかしねぇよ。
それより、早く行こう。
港に船を待たせてあるんだ。
今日のデートは海釣りだ」
「はぁ?!海釣り?」
急展開に、私は目を白黒させた。
「そ。しかも今日の船頭は、島一番の漁師、隆生ジイだ。
大漁は確実だぜ。
今夜の夕飯は、タイやヒラメの舞踊りだな。
煮付けやバター焼きも美味いぞ」
「なんですって?」
脊髄反射で瞳が輝いてしまう。
そして、脳裏には、魚料理の映像が自動再生された。
ついで、鼻孔には映像に伴って、お醤油の良い香や、バターの香ばしさが再現された。
ごくり!
つい、だ。
つい生唾を飲み込んでしまった。
「今の時期、ハタがよく釣れるそうだ。
ハタっていったら、高級魚だぞ。
塩焼きにすると、白身がとろけるんだってよ。
パリパリに焼けた香ばしい皮。
皮の下に隠れてるのは、円やかな白に輝く身。
そこに、ぎゅっとレモンをひとたらしだ。
・・美味いぞ?」
私の心が激しく揺れ動いたのを察したのか、雪人は悪魔よろしく囁いた。
そして、私は堕ちた。
「早く行こう!
ほらほら、島一番の漁師を待たすんじゃないわよ!」
高級魚に目の眩んだワタクシは、雪人の手を引っ張って、丘を駆け下りたのだった。
さて、結果から言いますと、釣果は大漁旗だった。
もちろん、その日の夕飯は大ご馳走だ。
まさにタイやヒラメの舞踊りだった。
刺身に煮付け、塩煮、バター焼き。
アクアパッツァや唐揚げ、つくね汁などなど。
食卓を埋め尽くす魚料理は、どれもこれも、ほっぺが落ちるくらい美味しかった。
「うわぁ、上等〜。
ありがとうね、美羽さん。
オバアは島生まれだけど、こんっなに大きくて美味しい魚は食べたことがないよ。
本当にありがとうねぇ」
海風荘のよしオバアも大喜びだった。
大満足の宴が終わり、
「はぁ〜、美味しかったぁ」
ぽんぽこりんになったお腹を擦って、ごろんと畳に寝転がった。
「こぉれ、美羽さん。
食べてすぐに横になると、牛になるよ」
「でへへへ。ごめーん。
ちょっとだけだから」
幸せすぎて、オバアのお小言でさえ心地良い。
満足感に顎まで浸って思い出すのは、別れ際の雪人だ。
「明日も同じ場所で、同じ時間な」
俺様なくせに、ほんの少しだけ不安そうに小首を傾げて、約束を口にした。
意地悪したくなって「気が向いたらね」なんて、言い捨てて帰ってきたけど。
「明日も行ってやろうかな」
ご馳走がたっぷり詰まったお腹をぽんと叩き、私は一人頬笑んだ。
こうして、奇妙な恋人契約はご馳走に紛れて、なし崩し的に開始されてしまったのである。
いやぁ、食欲って怖いね。