しらゆき姫の心臓食べた、
「雪城(ゆきしろ)?」



不意に自分を呼ぶ声が聞こえ、一瞬びくりとしてから顔をそちらへ向けた。



「……日生(ひなせ)課長……?」



視線の先にあったのは、毎日職場で顔を合わせる上司の姿だ。

大きな黒い傘を差す背の高いその男性はコートに口元までを覆うマフラー、そして手袋と防寒対策バッチリで、銀縁メガネの奥から驚いたような眼差しを私に向けている。

人混みをうまく避けながら、課長は私のもとへとやって来た。



「どうしたんだ、こんなところで棒立ちして。寒さで足元から凍ったか?」



日生課長はそんな冗談を言うけど、淡々とした低い声に見慣れた眉間の深いシワのせいで、素直に笑っていいものか判断に迷うところだ。

そもそも今の自分に、いくら上司相手とはいえ笑顔を作れるほど心の余裕はない。とりあえず私は白い息を吐きながら、課長の傘を指さした。



「課長……準備いいですね」

「何を呑気に。天気予報でも雪が降ると言ってただろう」



呆れたように言って、日生課長は私の方に傘を傾けてくれる。

自分にも部下にも厳しく、陰で『冷血メガネ』などと恐れられている課長だけど、私はそれほどこの人のことを恐いとは思わない。

だってこうしたさりげないやさしさや仕事に対する真摯な態度は、十分信頼と尊敬に値するものだ。



「そうなんですね。見落としてました」

「きみは仕事はいつもキッチリこなしてくれるが、妙なところで抜けているな」



そんなことないです、と否定しかけたところで、くしゅんと小さなくしゃみが漏れた。

課長がため息を吐き、一瞬ためらうような素振りを見せてから、私の頭に積もった雪を手袋に包まれた左手で払ってくれる。

その眉間には相変わらず深いシワが刻まれているのに、私の髪に触れる手つきはやたらと控えめでやさしくて、なんだか可笑しい。



「なに笑ってるんだ、雪城」

「いえ。なんでもないです」



しまった、顔に出てたのか。

緩んでしまっていたらしい口元を片手で押さえながら、私は先ほどまで自分が見つめていた空間へと再び目を向ける。
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