純な、恋。そして、愛でした。
「……黒野陽介です。よろしく」
表情筋ひとつ動かさずにたった一言、それだけを放った黒野陽介。
どこを見ているのかわからない力ない視線。
まばたきすらスローで、目の前の私たちに対して舐めてかかっている態度に見えた。
なんだよ、クールぶっちゃって、大人ぶってるつもり?
声にも表情にも色がない。気に食わないな。俺はお前らとは違うんだよって皮肉が今にも聞こえてきそうだ。
でも女子はこういう男子が好きなんだよな。そう思って周りの子たちのことをみると案の定、彼に熱い視線を送っていた。
そしてひそひそと小声で彼について話している。かっこいいとか、やばい、とか。私が言えることじゃないけど、語彙力という概念のない言葉たち。
私にはさっぱりわからない。まだ彼氏のほうが本物の大人で、紳士で、かっこよく見える。なんて柄にもないことを考えてみたり。
「じゃあ、黒野の席はあそこな」
「はい」
担任が指さした先。みんなが一斉に私の方を見る。訂正、私の後ろにある空席を見た。あまりに揃ったその行動に、目をしぱしぱさせた。先ほど疑問に思ったその席の意味がようやくわかったけれど、問題はそれじゃない。
黒野陽介がこちらに歩いてくる。近づいて、彼の綺麗な顔がはっきりしてくると、妙に心が固くなるような感覚がした。横を通る瞬間、柔軟剤のいい香りがほのかにした。
椅子を引きずる音、そして着席の音。あの力ない瞳が私の後頭部を見ていると思うと、なんだか蛇に睨まれたカエルの気持ちがわかるような気がした。
でも、気にしているって誰にも察して欲しくないので平然を装って頬杖をついて窓の外を見た。勘の障る男な気をとられ続けるのはごめんだ。
見上げた空はご機嫌そうに、青かった。
つわり、というものはかなり辛いものだった。病院に行って結果が出てから、五日が経った今日、それまではご飯も普通に食べられていたのに、今は食欲が全くといって出ない。食べても、食べなくても胃やら胸やらがムカムカしてしょうがない。
とても気怠く、なにごとに対してもやる気はでないし、ベッドから起き上がるのも億劫。こういうものに、対策とかあるものなのだろうか。妊娠、妊婦生活についての知識がなさすぎてよくわからない。後でググるか。
「うわ、志乃がすっぴんとか珍しい」
登校してすぐ、教室に入るとかけられた楓の言葉に「たまにはね」なんて返しながら席に向かった。化粧をする気力も、髪の毛をブローする力も沸いて来なかった。
学校を休もうかとも思ったけれど、こういう時に学校を休みがちになって、親や友達などに変に勘繰られてしまうのは本意じゃない。
そして力なく歩く私の目の前に、誰かが立ちふさがった。ふと顔を上げるとそこには黒野陽介が冷ややかな目で私のことを見下ろしていた。
「なに」
「……誰?」