副社長はウブな秘書を可愛がりたくてたまらない
 雨脚が次第に早くなり、ワイパーがキュッ、キュッ、と単調な音を立ててフロントガラスを擦っている。

 走り出して五分ほど経つけれど、彼は口を開くことはなく窓の外を眺めていた。

 私の住む会社の寮までは、後十分ほど。いっそこのまま無言の方が楽かもしれないなんて思っていると、彼はその心を読んだかのように突然口を開いた。

「俺のこと、怖い?」

 掛けられた言葉は予想外のもので、私は情けないほどに狼狽(うろた)えてしまう。

「そ、そんなことありません……」

「なら良かった。店を出てからもずっと居心地が悪そうだったから。もしかして迷惑だったかなって」

 もっと困ればいいと思ってるって言っていたのに、気にしてくれていたんだ……。

 彼の優しさに、同時にじわりと胸に広がる温かな熱と冷たい罪悪感。

「本当に、あ、あなたのことが、苦手とかじゃないんです。私……」

 ゴクリと唾を飲むと、彼は優しく細めた目をこちらに向けていて、なにも言わずに私の言葉を待ってくれていた。
< 32 / 196 >

この作品をシェア

pagetop