ただひとりの運命の人は、私の兄でした

胸いっぱいの想いを

小さな私が泣いている。
またいじめられたのだろうか。でも私は絶対に誰にも泣き顔を見せたくなかった。
だから外ではずっと我慢していて、走って一人で家に帰った。そして自分の部屋に足を踏み入れた瞬間、涙を溢れさせた。
「うっ、……ひっく、ひぐっ、」
壁に寄りかかりながらずるずると座り込み、泣いた。
いじめられる理由なんて色々ありすぎて、もう良く分からなかった。

わたしがなにをしたというの。
なにがいけないの。

でも、大丈夫。
こうやって一人でたくさん泣いたら気が済むから。
お母さんにはこんなこと言えない。迷惑かけちゃうから。
私が元気に学校に通っているって思って貰いたい。
『あおいはいい子』だもん。

膝に顔を埋めて肩を震わせていると、とんとんとドアをノックする音が聞こえる。
びっくりして顔を上げると、ドアを開けて心配そうに佇む光希がいた。
「みつき……」
「泣いてる声が聞こえたから心配で。……何かあったんだね?」
「あの、帰り道に転んで、痛くて泣いてただけ」
ごしごしと手の甲で涙を拭いながら、何とか誤魔化そうと思った。
「あおい、僕には何でも言って?僕は君の味方だよ」
「……っ、」
弾かれた様に顔を上げると、そこには慈しむ様に微笑む顔があった。
「一人で我慢しなくていいんだよ。僕が君を守ってあげる」
優しい言葉と共に、大きくて温かい手で頭を撫でられた。
その瞬間、私の中で何かががらがらと崩れた。
唇をわなわなと震わせながら、私はぶわっと涙を溢れさせた。

我慢していた苦しみ、悲しみ。
子供のちっぽけなプライドも。

その何もかもを、光希は手を広げて受け止めてくれた。

「いっ、いじめ、……られて、いてっ、……もう、いやなの、ひっく」
「あおい、辛かったね。ちゃんと教えてくれてありがとう」
「ひぐっ、わたし、……なにがいけないのか、わから、ないっ、」
「大丈夫、あおいに悪いところなんてないよ。僕が保証する」

光希は私を優しく抱きしめてくれた。
その肌のぬくもりが嬉しくて、切なくて、私は胸が一気に熱くなった。

「みつきぃ……ひっく、ひぐ、うぅぅうっ」
「大丈夫、あおいのことは僕が守ってあげる。何も心配しなくていいよ」

私は散々泣いて、泣き疲れてそのまま光希の腕の中で眠ってしまった。
まるでおひさまみたいにあたたかかった。

光希の優しさも、まどろむような安心感も、柔らかい笑顔も。
何もかもを愛しく思う。どうか、どうか……


「あおい、起きて!!」
ゆさゆさとゆさぶられて、私はゆっくりと意識を浮上させた。
「あれ……?絹、おはよう……?」
「あおいが寝坊なんて珍しいね。まあ、昨日は藤井君と遅くまで散々楽しんだ様だからねぇ」
その言葉に私はぱちぱちと目を瞬かせた後、何だか誤解させてしまったようだと苦笑した。
「なになに、二人は付き合うことになった訳!?」
絹が目をキラキラさせて食い気味に突っ込んできた。
「ううん、全然。良いお友達です」
「何その芸能人が交際発覚した時に言う様なセリフ!!」
「ほんとのことだよ。あ、まずいね、もうこんな時間か」
「そうそう、早く準備して出なきゃ!あおい急いで!」
絹もまだ身支度が終って無い様で、ばたばたと部屋を出て行ってしまった。

昨夜は藤井君と終電までカラオケで熱唱した。
お陰で帰ってくるのがすっかり遅くなってしまったのだが、絹は既に帰宅して寝ていた。
起こさないようにこっそり自室に引っ込んだが、何も知らない絹は私と藤井君の仲を勘違いしたようだ。
私も急いで身支度をしながら、カレンダーを確認した。
そして決意をひとつ固める。

私はもうすぐ、20歳になる。

光希に想いを伝えよう。

あなたが素敵な人であること。心から尊敬し、好きだということ。この気持ちを誇りに思っていること。私の全てでそれを伝えたい。
自分の気持ちを伝える事はただの自己満足だろうか。エゴなのだろうか。それでもどうか許して欲しい。
想いが通じるなんて思わないから。あなたの幸せの邪魔も、絶対にしないから。

もうすぐ光希は結婚するのかもしれない。その前に、今まで私を育ててくれた感謝の気持ちも込めて、想いを伝えたい。
きっと見事玉砕するだろう。うん、構わない。それも運命だ。
そして数ヵ月後、私は光希の結婚ニュースを見て涙を流し、お幸せに……とか呟くのだ。
その光景がまざまざと思い浮かんでしまい、私ははっと我に返ってぶんぶんと頭を振った。
こんな風に自己完結している場合ではない。
まずは行動あるのみだ。

しかしいざとなるとなかなか光希とコンタクトが取れない。
もちろん携帯番号は知っているし、トークアプリだってIDは分かっている。
それでも、あの家を出て以来、一度も彼とは連絡を取り合っていなかったのだ。

「たまには連絡してもいいかな?」
別れ際、光希はそんな風に私に尋ねてきた。
「……もう私は他人だから。そういうことはやめよう」
光希の優しさを私はこんなひどい言葉で突っぱねた。
その時の光希の傷ついたような表情は今でもはっきりと頭に残っていて、思い出すたびに罪悪感で胸が苦しくなる。
しかし光希は私の嫌がることや、拒絶の色が見えた事は決してやろうとしなかった。
だから、一度も光希から電話はかかってきていない。

あんな大見栄を切ったというのに、私は今自分から光希に連絡を取ろうとしている。

最悪に格好悪いな、私。
その上、緊張と恐怖で電話を掛けられないでいる。どんなビビリだ。

そう、自分でも情けなくて泣きたくなるほどにここ数日の私は格好悪いのだ。
大学の講義が終わって家に帰り、一通りの家事を済ませ、絹ととりとめのないおしゃべりをする。それから自室に引っ込んで、スマホとにらめっこする時間が始まる。

スマホの画面をタップし、表示させるのは光希の電話番号。
ぶるぶると震える人差し指でそこに触れようとするが、あと数ミリのところでいつも手が止まってしまう。
「いや、……ちょっと、待って。ふひ、ひひひ」
一人で変な笑い声を上げる。極度の緊張状態でおかしくなっているらしい。耐えきれず、画面をブラックアウトさせる。
そしてスマホをぽいっと投げ出し、自らもベッドにダイブして唸り声を上げる。
心臓がばっくんばっくんと煩い。顔から火が出そう。
光希に電話一本かけることすらこんなに勇気がいることだなんて。
一緒に住んでいた頃は、「今から帰る」くらい、平気で連絡していたというのに。
ああ、あの頃の私にお説教してやりたい。あなた、贅沢者なんだからねと。
ちらりとカレンダーを見やれば、私の誕生日まであと5日。
残された日にちは少ない。けれど、諦める訳にはいかない。
きっと、明日こそは。良く見れば今日は仏滅だから日が良くないかもしれない。明日は大安だから明日にしよう。
良く分からない言い訳を自分に言い聞かせながら、私はきっと明日こそは、と気合いを入れ直していた。
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