その恋、記憶にございませんっ!
 




 翌日、唯が仕事でロビーに下りると、何故か会長と社長が受付の前に立っていた。

「……どうされたんですか?」
と号令をかけられた小学生のように、背筋を伸ばして立っている二人に話しかけると、

「おお。
 唯さん。

 今、呼びに行かせようと思ってたんだよ」
と会長がニコニコしながら言ってくる。

「今から、前田様がいらっしゃるんだ」

「えっ」

 お父さんが? と思っていると、中古の古い車が立派な社屋の前に着いた。

 玄関先で待っていたらしい秘書の若い男に、何処にとめるのか訊いている父の姿が見えた。

 男が自分がとめてききます、と言ったようで、父親はそのまま車を降りてきたようだ。

「前田様っ」
「前田様がっ」

 昔買ったものなので、物はいいが、一家そろって不器用なことが災いし、いまいち手入れのなっていないスーツを着た前田勝家(かついえ)が現れた。

「前田様っ」
と会長たちはひれ伏さんばかりだが、唯は、我が父親ながら、その辺の人の良さそうなおっさんにしか見えないんだが……と思っていた。
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