塹壕の聖母
アルコールの匂いが鼻にきいていた。部屋に充満していた。

いやな匂いだ。硝煙のほうがいいと思った。

周りはあいつ以外にも粗末なベッドに横たわる者達が多くいた。

その者達はほとんどが包帯が巻かれており、呻き声と泣き声が木霊していた。

それを答えるように軍医が走り周っていた。

そして奴も走り周っていた。

「もう駄目だ」

奴は言った。

「は?」

俺は奴の言葉を返した。

「死んだ」

奴はわかり解り易い言葉に変え言った。

「死んだ・・・おい」

俺は奴の胸ぐらを掴んだ。

「死んだ、あいつとはさっきまで話していた。」

俺は奴の胸ぐらを掴みながら罵声を浴びせた。

奴の襟には黒十字が激しく揺れていた。俺より階級は上の士官だった。

「おい、やめろ・・・」

周りにいたほかの者達が止めに入り俺の押さえつけた。

「貴様、なにやっているんだ。上官だぞ。」

俺はその言葉で、自分のやっていたことに気づいた。

奴は無言のまま俺を見ていた。その顔は何かを哀れむようである。

「私は・・・・」

「いい、もう・・・」

奴は襟を直しながら言った。

「おい、こっちに来てくれーーーー」

大きな声が聞こえた。ほかの負傷兵が運ばれてきた。

「分かった。すぐ行く」

「あの、私は・・・」

「いい、今回のことは不問にする」

奴はそう言いながら、大きな声のした方へ駆け足で言った。

俺の肩を取り押さえていた者が

「よかったな。不問で」

俺の肩から手を離した。歩いていった。

あいつのベッドの周りには俺しかいなかった。

なぜ上官に食いかかってまでしたのか分からない。

あいつと俺の肩に抱かれてここまで来ただけである。

自分自身が半分壊れた感覚に襲われた。

俺はベッドで眠っているように横になっているあいつを見続けていた。

俺はたしかにさっきまで話していた。あいつと・・・


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