ここにはいられない
遠くで濡れた地面を滑る車の音がして、エンジンの音が止まる。
路面はまだビシャビシャだけどいつの間にか雨は上がっていた。
靴底に泥がついたジャリジャリという音をさせながらやってきた人物は、数m手前でピタリと止まった。
「・・・・・・菜乃?」
千隼だ。
無事だった。
帰ってきた。
心の中ではたくさんの感情が溢れているのに、寒い中同じ姿勢を取り続けてきたせいと疲労によって、顔を含む全身の筋肉が固まっていた。
ホッとして笑ったつもりが、外側には何も出ていない。
「何してんだよ、こんなところで。いつからいた?大地と何かあったのか?」
残りのたった数mをもつれるように走った千隼は、駆け寄ってきて私を支えながら立たせた。
急に動かしたから身体の節々が痛む。
「うわ、こんなに身体冷やして!いつからいた?何してた?こんなに暗いのに!」
そういう千隼の手も十分に冷たくて、髪も作業着もしっとりと濡れていた。
持っていたタオルをその濡れた顔に当てる。
「ずっと千隼を待ってた」
ボーッとした頭で答えたけれど、ずっと黙っていたせいで声はカラカラにかすれていた。
「━━━━━は?」
「千隼が好き」
普段無表情の千隼には珍しく、はっきりと驚いた表情を浮かべ、声も出せずに固まっている。
「千隼が好きなの。会いたかった。心配してた。元気な顔見られてよかった」
目的は達成した。
千隼が帰ってきたのを確認して、言いたいことも言ってしまうと、もう次にどうしたらいいのかわからなかった。
タオルを当てたまま固まっていると、千隼は私の二の腕をがっしり掴んでドアを開け、部屋に無理矢理引っ張り込む。
「あれ?鍵は?」
千隼は鍵を開けることもせずドアノブを回し、当然のようにドアは開いた。
「掛けてない」
「なんで?」
靴を脱いで私を引っ張り上げながら、少し気まずそうにボソボソと言う。
「開けておけば、いつか、菜乃が帰って来るんじゃないかと思って。だから入っていればよかったのに」
「開いてるなんて思わないもん。気付いたとして、勝手になんて入れないよ」
「菜乃はいいんだよ、いつでも」
出会った当初から「お好きなように」と鍵を開けっ放しでいてくれた千隼だ。
だから「好きなように」ずっと入れてもらってきた。
「無用心!」
「貴重品は持ち歩いてるし、他に大事なものは、全部菜乃が持ってるから」