ここにはいられない
元々恐怖でドキドキしていた心臓が、一際ドッキンと波打った。
人によってはこのまま心臓が止まっていたと思う。
走っただけではない理由で浅く早い呼吸を繰り返していると、パチリと電気がついた。
「なんだ、あなたか」
青いTシャツにハーフパンツ姿の彼が珍しく驚いた顔で私を見下ろしていた。
「ああ、暗いのは苦手なんでしたね」
彼だとわかると急激に心臓が落ち着く。
「こんばんは」
「あ、はい。こんばんは」
丑三つ時に玄関先でお互いパジャマに近い格好で、妙に間抜けな挨拶を交わす。
「トイレですよね。お先にどうぞ」
『お先に』ということは彼もそうなのだ。
借りる身なのに譲ってもらうなんてできない。
大体、トイレの外で待たれるなんて恥ずかし過ぎる。
「いえ!私は待ってますから!」
「我慢は膀胱炎に良くないですよ」
一気に顔が赤くなったのがわかって、すぐに下を向いた。
「気付いてたんですか?」
「女性には多いと聞きますし、なんとなくそうかなって」
そう言われてしまうと何も言えなくなり、お先にトイレを借りることにした。
引き戸を開けて出ると、彼はリビングのソファーから立ち上がってこちらに歩いてきた。
「あ、ありがとうございました」
そのまますれ違って帰ろうとすると、
「毎回あんな状態じゃ身が保たないでしょう?大丈夫なんですか?」
と呆れたような溜息を落とされた。
それは私もずっと感じていたことで、だけど打開策がないまま生理的限界に追われてこんな生活を続けていたのだ。
これがもし仕事だったら、何らかの改善策を早々に考えていただろうけど。
疑問型で投げかけてきた言葉は、それでもただの独り言だったようで、彼はそのままトイレに入ってしまった。