ここにはいられない
トイレに行き、軽くお風呂を借りてから一緒にカレーを食べる。
いつも通りテレビはつけず、静かな部屋で。
公舎自体に人が住んでいないせいか、生活音はほとんどしない。
時折、通りを走る車の音とのどかな鳥の鳴き声。
冷蔵庫と時計の音。
あとはスプーンがお皿に当たる音くらいだ。
ずっと千隼に何て声を掛けようかって考えている。
「ありがとうございました」
「お世話になりました」
「ご迷惑をお掛けしました」
それから「さようなら」?
「また、今度」?
庁舎内ですれ違うことはあるだろうけど、仕事上の接点はない。
大ちゃんを挟めば友達と言えるものの、一緒に会う機会があるかどうかわからない。
何もなくても「ご飯でも食べに行かない?」って誘っていい相手なのか、それとも元の他人に戻ってしまうのか。
千隼には掛けるにふさわしい言葉があるような気がするのに、それが明け方の夢のように掴めそうで消えていく。
「悪いんだけど、俺8時半から当番なんだ」
「え?そうなの?」
市役所は当然土日休みなんだけど、各種届け出の受付やお問い合わせに対応するため、1~2人当番制で出勤する。
それなりに人数がいるから、そんなに頻繁に回ってくる仕事じゃないけど、このタイミングで千隼は当番だったらしい。
「先に出るから、鍵は開けたままでいい」
「役所まで届けようか?」
「いや、大丈夫。一応渡すけどテーブルの上にでも置いておいて」
千隼が滑らせるようにして鍵をこちらへ押しやる。
それを受け取って、デニムのポケットにギュッと入れた。
「わかった。あ、時間ないから洗い物は私がやるよ」
「ごめん。じゃあ頼む」