ここにはいられない



「ありがとう。助かった。ものすごく」

こんな作業、千隼が手伝ってくれなくても私一人でできた。
もちろん時間はかかるけど、それだって何時間もじゃない。
だから作業内容だけで言うなら『ものすごく助かった』は大袈裟な言い回しだった。

『ものすごく助かった』のは、私の気持ち。

「大した作業じゃない」って自分を励ましてはいたものの、一人で残業していたことに気付いてくれて、それだけで涙が出るほど嬉しかった。
側にいてくれるだけで救われた。
もちろん夜暗くて怖かった、っていうことも大きいけど。

きっと心の鍵穴はかなり特殊な形をしていて、それがピッタリ合わないと入っていかないのだろう。
その代わりピッタリ合った時には、驚くほど簡単に感情が溢れる。

これまでと同じように無表情の千隼は、きっとこれまでと同じように単なる親切心だ。

「別に。大したことじゃない」

うん。
大したことじゃない。
事実だけなら。

「取るに足りない些細なことだったとしても、タイミングや人によってはものすごく救われることもあるんだよ。だから、本当にありがとう」

素直な気持ちで千隼に笑顔を向けると、驚いた表情をしていた。
それから少しだけ目と口元を緩めて笑った。

「それは、よくわかる」


千隼はいつもマイペースで、態度なんて悪いくらい無表情で素っ気なくて、いつも淡々として。
だけど、きっと内側の感情は豊かなのだ。

感情がなければ、人を思いやったり共感したりできない。
人一倍お人好しな千隼は、本当は人一倍色んなことを感じているんだと思う。


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