いつか君と見たサクラはどこまでも
【赤坂優馬】
翔が受験まで一ヶ月を切った。
家では受験勉強モードの空気しか流れていなくて心地が悪い。
相変わらず母さんは翔のことはかり気にかけている。
ご飯は翔の好きなものしか出さないし、送迎は絶対車だし、うっとうしいくらい翔に付きまとっている。
そんなの見てると本当に気分悪いし、勉強に集中できない。こんなの言い訳だと思われてしまうかもしれないが、本気だ。
ついに吐き気がして危機を感じた俺は、カフェに逃げ込んだ。このカフェは桜井の行きつけのところ。おしゃれで落ち着いた雰囲気の店内は、俺もかなり気に入った。
そして一人で二人用のテーブルで、読書をしようとしていたんだ。その本は、『少年のアリカ』。
母さんの書いた本だし全然読む気になんてならなかったけど、この雰囲気だったら読んでみてもいいかなと思ったんだ。
「あれ?赤坂?」
慌てて後ろを振り向くと、そこには不思議そうに俺を見ている桜井がいた。
「おお桜井。なんか不意に行きたくなって」
「ふーん。で、なんで本読んでるの?」
やっぱり俺が本を読むなんてなかなかないからおかしいのか。だって本って何が面白いのかわからないんだもん。そういうもんじゃない?
「読んでない。読もうとしたけど、もうやめた」
本を閉じると、バッグに入れ込む。もう読むもんか。
「で、望ちゃんの様子は?」
桜井は向かい側の椅子に座ってテーブルにコーヒーを置いた。コーヒーからは湯気がフワフワと湧き出ている。
「望のことは解決したよ。ちゃんと夢叶えるって」
「夢?」
「うん。ヴァイオリニストになるって。やっぱり好きなことで生きるって素敵だよね」
そうだ。好きなことで生きるってどれほど素敵なことか。
そんなことを考えていると苦しくなってくる。
「それはよかった」
うんうんと頷いて桜井はコーヒーを一口飲んだ。
「あー、ひまー」
「は?受験生でしょうが。暇なら勉強しなさい」
「おまえこそ」
「私は気分転換で来てるから」
「俺もだし」
あっ、と何かを思い出したようにバッグを探って、何が出てくると思えばただのチラシが出てきた。
「これでも行ってきたら?」
「美術館?俺美術には興味ねぇや」
でも何か役に立つかもしれないと思い、それを受け取った。
そういや翔が美術好きだっけ。
あいつは小さい頃からよく絵を描いていた。その絵は才能を感じさせるものばかりで、いつも周りから褒められていた。
有名な芸術家の作品の展示会は絶対行っていた。家族みんなで行った。みんなで絵を見て回った。
いつから崩れたのだろう。
どうして今の状況になってしまったのだろう。
また吐き気が襲ってきて胸が苦しくなってくる。
「赤坂?」
桜井が俺の異変に気づいたのか、心配そうな顔で覗いてくる。
苦しい。悲しい。しんどい。辛い。
でもそんなの言ってしまえばもっと溢れ出そうで怖い。
「ん?なに?なんか変だった?」
「変だったよ。すごく変な顔してた」
桜井はいつの間にかコーヒーを飲みきっていたらしく、空になったコップを捨てに行った。
桜井はどうして笑顔なんだ。辛いことたくさんあるはずなのに。
一つも辛い顔なんて見せない桜井が羨ましい。
「ブサイク!行くよ!」
いきなり腕を引っ張られて外に連れ出された。
「なに?ブサイクって酷いよね」
驚いている俺の顔を見て彼女は大笑いしている。いや笑い事じゃないから。
「だってブサイクだったんだもん。そんなつまんない顔やめようよ。もっと楽しく生きなきゃ」
ニカッと楽しそうに笑うけど俺は口を開けたままだ。
グイッと腕を引っ張られどこかへ連れて行かれる。
女子のくせに足速いし、やけに楽しそうに笑うし、いったいどこへ行くつもりなのか。
「はぁ?」
着いた場所は駅。嫌な予感がする……
「おいおい、待てよ」
声をかけても聞こえてない素振りをして手を動かす。その手さばきはもう慣れているようだった。
なんと彼女は切符を買ったんだ。しかも二人分。本当に何を考えてるんだコイツは。
するとすぐにまた腕を引っ張られて改札を抜けていく。
そしてその場に停まっていた電車に乗り込んだ。
「なんだよお前」
思いっきり睨んでる俺に対して、またもや大笑いしている桜井。何がそんなに面白いんだよ。
油断しているとガクッと電車が揺れて発車した。ちょっとバランスを崩しかけたけど、笑われるのはわかってたから踏ん張った。
「この景色よく見とくんだよー」
桜井の目は輝いていた。そう言われるとなんとなく見たくなって、窓の外の景色を眺めていた。
ただのいつもの風景。家とかビルとかマンションとか病院とか。いつも見慣れている風景。
だが、すぐに真っ暗なトンネルに入ってしまった電車からは景色が見えない。
このトンネルの向こうの景色はどうなっているのだろう。そんなどうでもいいことを思った。
「そろそろくるから」
ワクワクしているのがわかった。楽しそうに笑って窓にしがみついている。
「わぁ……」
さっきまで真っ暗だった目の前に、見慣れない景色が広がっている。
見えるのは田んぼと畑と家だけ。ビルもマンションも病院も見当たらない。これを田舎と言うのか。
だけど何か魅力を感じたんだ。
「着いたよー」
つい見とれてしまっていて、降りるのを忘れていた。
慌てて降りるとまた腕を引っ張られる。
あれ?ここどこ?改札ないよね?
「ねぇここどこ?」
「私の町でーす」
桜井こんなことに住んでんのか?なんて考えてる暇もない。また引っ張られてどこかへ連れていかれるんだ。
「ここ上がるのー!?」
「はやく!」
かなりキツそうな上り坂があった。しかも長い。そこを上がろうとか言い出すんだ。どうかしてるよ。
何度もつまずきそうになりながらやっと頂上まで来た。
だいぶ息が荒くなって体も温まった頃だった。
その坂のそばには芝生が広がっていた。そこには木製のベンチもあって、それにもどこか魅力を感じた。
「ねぇ!赤坂あれ見て!!」
桜井は今日一番、いや今までで一番かもしれない。とてもワクワクした様子で遠くを指さした。
その方を見ると、今まで見たことのないような絶景が広がっていた。
さっきまでいた駅や町が見下ろせる。それに、もっと遠くを見れば俺達の学校だって見下ろせる。
何より一番素敵なのは夕日だった。
オレンジ色に輝く大きな夕日は、もうすぐで消えてしまいそう。
その光がこの町全体を照らしている。とても美しい。
なぜかわからないけど感情が溢れ出てしまう。今までの辛かったこと、今苦しんでいること。すべてを吐き出したかった。
「赤坂?」
ボロボロと涙を流している俺を見て桜井は驚いていた。そりゃ急に夕日ごときで泣くやつがどこにいるか。
「男のくせに何泣いてんのよ!」
バンッと強く背中を叩かれた。痛かった。けどそんな痛み全然辛くない。もっと辛いことが周りに転がっている。
「なんかわかんねぇ……だけど辛くて苦しいんだよ」
「うん。私も一緒だよ」
一緒?んなわけないよ。
だっていつも桜井は楽しそうじゃないか。
いつも楽しそうに笑ってるじゃないか。
「本当は苦しいよ……」
気づけば桜井も涙を流していた。その涙は夕日に照らされてキラキラと光っている。
「だけどね、この世界には苦しいことがたくさんあって、それを堪えなきゃ強くなれないんだよ」
桜井は決意をしたように笑顔を見せた。それは作り笑いではない本物の笑顔。
「人を幸せにするには苦しいこと、辛いこといっぱいしなきゃダメみたい。そんな世界に生まれてきちゃったんだからしょうがないよ」
そうだよな。そうだ。
桜井の言っていることは正しい。けど俺にはまだその考え方ができない。
納得いかないことが周りにたくさんある。まずそこをなんとかしなきゃ。
「なんでお前まで泣いてんだよ」
さっきの仕返しとして強く背中を叩いてみた。
「はぁ?あんたに言われたくない!」
また背中を叩かれて、叩き返す。そしてまた叩く。
こんなのがずっと続いた。
俺達二人は笑顔で心が晴れたように笑いあった。
いつもこんなに楽しければいいのに。
「あ、ねぇ"幸せ"ってなんだと思う?」
幸せ……そんなこと考えてみもしなかった。もしかしたら幸せを味わったことがないのかもしれない。
「わかんない。"幸せ"ってなんだろう……」
んー、と深く考えこんでいると目の前に小指が出された。
「じゃあ、卒業までに"幸せ"の意味考えてくること!二人の約束という名の宿題!」
夕日はもう消えかけていて、月が顔を出そうもしている。
「うん。わかった。絶対見つけてやる!」
その小指に俺の小指を絡めて指切りを始めた。
「指切りげんまん嘘ついたら針千本のーます、指切った!!」
二人の声は空まで響き渡った。この約束は絶対に果たす。きっと意味のある約束なのだろう。
そして夕日は消え、綺麗な満月が顔を出した。
翔が受験まで一ヶ月を切った。
家では受験勉強モードの空気しか流れていなくて心地が悪い。
相変わらず母さんは翔のことはかり気にかけている。
ご飯は翔の好きなものしか出さないし、送迎は絶対車だし、うっとうしいくらい翔に付きまとっている。
そんなの見てると本当に気分悪いし、勉強に集中できない。こんなの言い訳だと思われてしまうかもしれないが、本気だ。
ついに吐き気がして危機を感じた俺は、カフェに逃げ込んだ。このカフェは桜井の行きつけのところ。おしゃれで落ち着いた雰囲気の店内は、俺もかなり気に入った。
そして一人で二人用のテーブルで、読書をしようとしていたんだ。その本は、『少年のアリカ』。
母さんの書いた本だし全然読む気になんてならなかったけど、この雰囲気だったら読んでみてもいいかなと思ったんだ。
「あれ?赤坂?」
慌てて後ろを振り向くと、そこには不思議そうに俺を見ている桜井がいた。
「おお桜井。なんか不意に行きたくなって」
「ふーん。で、なんで本読んでるの?」
やっぱり俺が本を読むなんてなかなかないからおかしいのか。だって本って何が面白いのかわからないんだもん。そういうもんじゃない?
「読んでない。読もうとしたけど、もうやめた」
本を閉じると、バッグに入れ込む。もう読むもんか。
「で、望ちゃんの様子は?」
桜井は向かい側の椅子に座ってテーブルにコーヒーを置いた。コーヒーからは湯気がフワフワと湧き出ている。
「望のことは解決したよ。ちゃんと夢叶えるって」
「夢?」
「うん。ヴァイオリニストになるって。やっぱり好きなことで生きるって素敵だよね」
そうだ。好きなことで生きるってどれほど素敵なことか。
そんなことを考えていると苦しくなってくる。
「それはよかった」
うんうんと頷いて桜井はコーヒーを一口飲んだ。
「あー、ひまー」
「は?受験生でしょうが。暇なら勉強しなさい」
「おまえこそ」
「私は気分転換で来てるから」
「俺もだし」
あっ、と何かを思い出したようにバッグを探って、何が出てくると思えばただのチラシが出てきた。
「これでも行ってきたら?」
「美術館?俺美術には興味ねぇや」
でも何か役に立つかもしれないと思い、それを受け取った。
そういや翔が美術好きだっけ。
あいつは小さい頃からよく絵を描いていた。その絵は才能を感じさせるものばかりで、いつも周りから褒められていた。
有名な芸術家の作品の展示会は絶対行っていた。家族みんなで行った。みんなで絵を見て回った。
いつから崩れたのだろう。
どうして今の状況になってしまったのだろう。
また吐き気が襲ってきて胸が苦しくなってくる。
「赤坂?」
桜井が俺の異変に気づいたのか、心配そうな顔で覗いてくる。
苦しい。悲しい。しんどい。辛い。
でもそんなの言ってしまえばもっと溢れ出そうで怖い。
「ん?なに?なんか変だった?」
「変だったよ。すごく変な顔してた」
桜井はいつの間にかコーヒーを飲みきっていたらしく、空になったコップを捨てに行った。
桜井はどうして笑顔なんだ。辛いことたくさんあるはずなのに。
一つも辛い顔なんて見せない桜井が羨ましい。
「ブサイク!行くよ!」
いきなり腕を引っ張られて外に連れ出された。
「なに?ブサイクって酷いよね」
驚いている俺の顔を見て彼女は大笑いしている。いや笑い事じゃないから。
「だってブサイクだったんだもん。そんなつまんない顔やめようよ。もっと楽しく生きなきゃ」
ニカッと楽しそうに笑うけど俺は口を開けたままだ。
グイッと腕を引っ張られどこかへ連れて行かれる。
女子のくせに足速いし、やけに楽しそうに笑うし、いったいどこへ行くつもりなのか。
「はぁ?」
着いた場所は駅。嫌な予感がする……
「おいおい、待てよ」
声をかけても聞こえてない素振りをして手を動かす。その手さばきはもう慣れているようだった。
なんと彼女は切符を買ったんだ。しかも二人分。本当に何を考えてるんだコイツは。
するとすぐにまた腕を引っ張られて改札を抜けていく。
そしてその場に停まっていた電車に乗り込んだ。
「なんだよお前」
思いっきり睨んでる俺に対して、またもや大笑いしている桜井。何がそんなに面白いんだよ。
油断しているとガクッと電車が揺れて発車した。ちょっとバランスを崩しかけたけど、笑われるのはわかってたから踏ん張った。
「この景色よく見とくんだよー」
桜井の目は輝いていた。そう言われるとなんとなく見たくなって、窓の外の景色を眺めていた。
ただのいつもの風景。家とかビルとかマンションとか病院とか。いつも見慣れている風景。
だが、すぐに真っ暗なトンネルに入ってしまった電車からは景色が見えない。
このトンネルの向こうの景色はどうなっているのだろう。そんなどうでもいいことを思った。
「そろそろくるから」
ワクワクしているのがわかった。楽しそうに笑って窓にしがみついている。
「わぁ……」
さっきまで真っ暗だった目の前に、見慣れない景色が広がっている。
見えるのは田んぼと畑と家だけ。ビルもマンションも病院も見当たらない。これを田舎と言うのか。
だけど何か魅力を感じたんだ。
「着いたよー」
つい見とれてしまっていて、降りるのを忘れていた。
慌てて降りるとまた腕を引っ張られる。
あれ?ここどこ?改札ないよね?
「ねぇここどこ?」
「私の町でーす」
桜井こんなことに住んでんのか?なんて考えてる暇もない。また引っ張られてどこかへ連れていかれるんだ。
「ここ上がるのー!?」
「はやく!」
かなりキツそうな上り坂があった。しかも長い。そこを上がろうとか言い出すんだ。どうかしてるよ。
何度もつまずきそうになりながらやっと頂上まで来た。
だいぶ息が荒くなって体も温まった頃だった。
その坂のそばには芝生が広がっていた。そこには木製のベンチもあって、それにもどこか魅力を感じた。
「ねぇ!赤坂あれ見て!!」
桜井は今日一番、いや今までで一番かもしれない。とてもワクワクした様子で遠くを指さした。
その方を見ると、今まで見たことのないような絶景が広がっていた。
さっきまでいた駅や町が見下ろせる。それに、もっと遠くを見れば俺達の学校だって見下ろせる。
何より一番素敵なのは夕日だった。
オレンジ色に輝く大きな夕日は、もうすぐで消えてしまいそう。
その光がこの町全体を照らしている。とても美しい。
なぜかわからないけど感情が溢れ出てしまう。今までの辛かったこと、今苦しんでいること。すべてを吐き出したかった。
「赤坂?」
ボロボロと涙を流している俺を見て桜井は驚いていた。そりゃ急に夕日ごときで泣くやつがどこにいるか。
「男のくせに何泣いてんのよ!」
バンッと強く背中を叩かれた。痛かった。けどそんな痛み全然辛くない。もっと辛いことが周りに転がっている。
「なんかわかんねぇ……だけど辛くて苦しいんだよ」
「うん。私も一緒だよ」
一緒?んなわけないよ。
だっていつも桜井は楽しそうじゃないか。
いつも楽しそうに笑ってるじゃないか。
「本当は苦しいよ……」
気づけば桜井も涙を流していた。その涙は夕日に照らされてキラキラと光っている。
「だけどね、この世界には苦しいことがたくさんあって、それを堪えなきゃ強くなれないんだよ」
桜井は決意をしたように笑顔を見せた。それは作り笑いではない本物の笑顔。
「人を幸せにするには苦しいこと、辛いこといっぱいしなきゃダメみたい。そんな世界に生まれてきちゃったんだからしょうがないよ」
そうだよな。そうだ。
桜井の言っていることは正しい。けど俺にはまだその考え方ができない。
納得いかないことが周りにたくさんある。まずそこをなんとかしなきゃ。
「なんでお前まで泣いてんだよ」
さっきの仕返しとして強く背中を叩いてみた。
「はぁ?あんたに言われたくない!」
また背中を叩かれて、叩き返す。そしてまた叩く。
こんなのがずっと続いた。
俺達二人は笑顔で心が晴れたように笑いあった。
いつもこんなに楽しければいいのに。
「あ、ねぇ"幸せ"ってなんだと思う?」
幸せ……そんなこと考えてみもしなかった。もしかしたら幸せを味わったことがないのかもしれない。
「わかんない。"幸せ"ってなんだろう……」
んー、と深く考えこんでいると目の前に小指が出された。
「じゃあ、卒業までに"幸せ"の意味考えてくること!二人の約束という名の宿題!」
夕日はもう消えかけていて、月が顔を出そうもしている。
「うん。わかった。絶対見つけてやる!」
その小指に俺の小指を絡めて指切りを始めた。
「指切りげんまん嘘ついたら針千本のーます、指切った!!」
二人の声は空まで響き渡った。この約束は絶対に果たす。きっと意味のある約束なのだろう。
そして夕日は消え、綺麗な満月が顔を出した。