契約婚で嫁いだら、愛され妻になりました
 忍の部屋にいることが常態化しているが、鈴音の緊張はなくなることはない。

 それはもしかしたら、彼女の心境が当初から変化しているせいかもしれない。出会ったときの印象のままであれば、こんなにドキドキとして彼の姿が現れるのを構えてなどいない。

 まあ、忍の部屋だけに関わらず、リビングでもどこでも落ち着くことはできないのだが。

 今も鈴音は、居場所に困ってベッドの隅に浅く腰を下ろしている。
 ソファもあるのだけれど、ひとり掛けソファのため、なんだか占領している気がしてしまって座ることができなかった。

 枕元に腰を沈め、サイドテーブルに手帳を広げた。まだ忍が戻る気配を感じられないと思うと、ペンを走らせる。

 まもなくして遠くでドアが開閉する音がした。
 鈴音は慌ててペンにキャップをし、手帳を閉じた。

「悪い。待たせた」
「いえ。お家にいるときくらいは時間を気にせず、ゆっくりしてください」

 鈴音は忍を見上げ、微笑んだ。

 忍にとって、こういう何気ない心遣いが安らぐものだった。今まで家に人がいると神経を使っていたが、不思議といつからか鈴音にはそういうものがなくなっていた。

 鈴音はこれまでの生活環境のおかげなのか、気遣いが絶妙だった。

 常に踏み込むべきエリアを考えつつも、必要なときにははっきりものを言う。
 そういう能力を持つ女性といたことはなかった。

「今日……明理のわがままに付き合ってくれてどうもな」
「全然平気です。私、本当に楽しかったですから」

 さらりと返答する鈴音を見れば、それは社交辞令ではなく本心なのだろうと思える。
 忍は鈴音の前に立ち、ジッと見つめた。

「……やっぱり鈴音でよかったな。きっと明理もすぐ懐くとは思っていたから」

 そして、忍は顔を綻ばせた。無自覚で柔らかな表情をし、明理と似たようなことを言うものだから、鈴音は目を丸くする。

 数秒ぽかんと忍を見上げ、思わず吹き出した。
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