契約婚で嫁いだら、愛され妻になりました
 鈴音もまた、距離を取るように改まった態度で返す。

 元々忍と一緒にブライダルサロンへ訪れようとなんて想像もしていなかったが、ふたりで行くよりはひとりで行ったほうが気が楽だ。

 忍がパンフレットをベッドに置き、立ち上がった。
 鈴音は忍の背中を一瞬見てからパンフレットを拾い上げ、パラッと中を見る。

 カメリアは超高級ホテルで有名だが、デリエはカメリアと比べたら多少敷居は低く感じる。ここならば、ひとりでもなんとか訪問できそうだとホッと胸を撫で下ろした。

「まあ、鈴音にしてもらわなきゃならないのは衣装合わせくらいだろうけれど。あとはプランナーに適当に任せてしまえばいい。先にブライダルサロンに電話して話はしておくから」
「わかりました」
「日取りは最短で空いてる日にして終わらせてしまおう。そのあと、ありがたくこれを使わせてもらってゆっくりするか」

 鈴音は忍の言う『これ』とはなにか、不思議に思ってふたたび彼の背中を見た。
 忍は掛けてあったスーツのポケットから封筒を取り出し、振り向き様に鈴音にそれを見せる。

 忍が手にしているのは、明理がくれた無料宿泊券だ。

「準備と本番で疲れるだろうし。お互い結婚休暇を取っても文句は言われないだろう」

 忍の意見はものすごく意外なものだった。
 それは、明理に『忙しいと言って旅行やイベントには取り合ってくれない』と聞いていたせいもある。

 明理は、鈴音なら忍の意見を変えられるようなことを話していたが、鈴音は到底そんなふうに思えなかった。

 宿泊券は一応忍に手渡したものの、当然それを使用する機会なんてないと思い込んでいたから、心底驚いた。

「これはどこだ? 伊豆? だいぶ昔に行ったっきりだな」

 忍が封筒の中身を見ながらひとりごとを漏らす。
 鈴音は忍が前向きに休暇を取ろうとしている姿を目の当たりにし、無意識に顔が綻ぶ。

 大きなお世話だとは思っているから、『仕事のし過ぎに注意して』とは普段言えない。忍の身体を心配していた鈴音は、休みを取るつもりだとわかっただけで安心した。

 それと、忍とどこか遠出するというのが初めてで、ちょっとわくわくもしていた。

 また、彼の新たな一面を発見できるかもしれないから。

 忍がふと鈴音を見れば、どこかうれしそうに口元を緩めている。その不意に目に入った反応に、心が揺れた。
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