契約婚で嫁いだら、愛され妻になりました
鈴音の部屋のすぐ向かいが忍の主寝室だった。鈴音に与えられた部屋よりもう少し広い空間に、キングサイズのベッドが置いてあった。

そこに、スーツの上着を脱いだ忍が腰を下ろしている。鈴音がおずおずと部屋に入りドアを閉めると、忍が鈴音の携帯を差し出す。

「ほら。拒否設定しておいたぞ。これで数日は大丈夫だろう。でも、次の休日には番号を変えた方がいいだろうな」

さっき、忍に促されて先に寝る準備をしに行く際、鈴音は彼に言われて携帯を預けていた。

「あ……。ありがとうございます……」

鈴音は両手で受け取り、ぎこちなく頭を下げる。忍は足を組み、膝の上で頬杖をつくと「ふっ」と短く笑った。

「近いうち、名義変更もしなきゃならなくて手間だろうけどな。そのくらいは我慢しろよ」

軽く目を伏せ、口元に緩やかな弧を描く忍の顔を見下ろす。

(名義変更……。そういえば、引っ越しもしたから色々な手続きが必要だ。しばらく忙しくなりそう)

まだ籍を入れる予定は立っていないが、自然とそんなことを考えてしまっていた。鈴音なりに、この奇怪な状況を受け入れている証拠だ。
しかし、本人はそのことに気がついていない。

「オレはまだ寝ないから、先に休め。このベッドならふたり寝るには十分な広さだろ」
「……すみません」
「べつに。気にするな」

忍はふいっと顔を逸らし、タブレットを手に取った。

キングサイズのベッドとはいえ、隣に忍が寝るのかと思うと緊張する。でも、山内のメールにひとりで怯えることをしなくていい。どちらがいいかと言われれば、やはり忍とひとつのベッドで眠るほうがいい。

鈴音は、仕事をする忍に背を向け、身体を横にした。

忍へ手を伸ばしたとしても届かないほどの距離はあるのに、背中越しに彼の体温が伝わってくる錯覚がする。
すぐそばに誰かがいてくれるという安心感がそう思わせるのだろうかと考えつつ、うとうとと瞼が重みを増していく。

(ああ。今日の日記、書いてない)

意識が遠のく中で、辛うじて日課を忘れていることに気がついた。だが、もう身体を起こすどころか目すら開けられない。
鈴音は睡魔に思考を引きずられ、『明日書こう』と思ったのが最後で、その後すぐ意識を手放した。
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