Fragrance
髪の毛を切った。
胸の下あたりまであったロングヘアーをショートカットにしたのは、3週間前の失恋が関係している訳でもない。
飲み干したビールジョッキを掲げて「おかわりください!」と叫ぶ。
どこにでもあるような大衆居酒屋でもう何杯目かも分からないビールの追加を頼んだ。
記憶なんか無くなればいい。
保険の営業職を初めて5年目。
入社した時から付き合っている彼氏に振られた。
28歳にもなったところだし、そろそろ結婚も視野に入れていたので貯金もたっぷりある。
両親にも紹介する時期だなと考えていたところに、「別れたい」の不意打ちボディーブローに心がボロボロだ。
「神崎(かんざき)さん。飲みすぎですよ」
後輩の宮守健二(みやもり けんじ)が、神崎ありさの腕を取る。
1年前からバディを組んでいる後輩は、飲み過ぎるありさのことを少々呆れ気味に見ている。
「後輩のくせに生意気。先輩に意見するわけ?」
「それパワハラっすよ。先輩」
「そのワードが出て来てから仕事やりにくいのよね」
この気の優しい後輩は許してくれると分かっていて、毒を吐く。
「それは良い事ですね」
「生意気。本当やっかい」
「お会計するのが怖くなるレベルになってきましたよ。そろそろ帰りましょう」
「そんなもん私が出すわよ」
先日の夏のボーナスで買ったGucciの長財布を見せながら、ありさは席を立ちあがった健二に座れと合図を送る。
なんと言っても貯金はたくさんあるのだ。
一生懸命貯めている時間を、もっと好きなことに使えばよかった。
「そういう問題じゃなくて。帰り道心配でしょ。女性なんだから」
「セクハラよ。セクシャルハラスメント。女だからなんて言葉一番嫌い」
「本当やりにくいなぁ……」
「生意気なのよ。あんた」
この酔っ払いに後輩の男が困り果てているのは意識の中で分かっていた。
仕事の直属の後輩だからといって、無理矢理連れまわしているのも事実でパワハラだと言いながら優しくしてくれている関係にありさは甘えている。