アレキサンドライトの姫君
-2-
心地よい独占欲に包まれるようなその力強い言葉につい目頭が熱くなる。
「涙が浮かぶと、紫水晶のように輝くのだな」
彼の包容力にすっぽりと覆われて身も心も束縛されたくなってしまう程の居心地の良さ。
至近距離で見つめる彼の瞳は優しく輝く琥珀と黒曜石。
不意にその瞼が閉じられてゆっくりと近づいてくる気配にエーデルも瞳を閉じた。
それは二度目の口付け。
いや、眠っていた間に薬を口移しされたというなら、これが三度目になる。
唇が重なり合うと優しく触れてから一度離れて、次に強く押し付けられた時には唇の隙間から舌を捻じ込まれエーデルの舌を絡め取る。
「……んっ……ふ…っ」
思わず漏れてしまう甘い吐息。
逃げるのを許さないとでもいうように執拗に追いかけては吸い、角度を変えて口付けられると今度は口内の粘膜を刺激してエーデルの反応を楽しむ。
身体の内側から何か得体の知れない熱いものが込み上げてきそうになる疼きに恐れを感じ、エーデルは唇が離れた隙をついてディルクの胸を押し遣った。
「ディルク様…駄目です…」
俯きながら小さく呟かれたそれに、ディルクは仕方なさそうに笑ってエーデルの髪に口付けを降らせる。
「早く、貴女と婚礼を挙げたい」
彼のその言葉が耳に届いた瞬間、口付けの余韻が一気に消えた。
目を背けたくても背けられない、ずっと引っかかっていた事実。
彼が王子であると知った瞬間からずっと心に憂慮の影を落としてきたこの現実。
エーデルは不安の表情で顔を上げると、思いの丈を紡ぎ出す。
「ディルク様…。私はあの夜、貴方が迎えに来てくださると言った言葉にはいと申し上げました。でも…貴方のお立場を知った今、私の身分では貴方のお妃に相応しくないことを理解しているつもりです。……貴方は第一王子としてのお務めを…国利になるような婚姻を結んでください」
外交を強固にする目的や王族に有益になるような手段として婚姻が結ばれることを知っている。
エーデルは名家でも何でもない隣国の只の一伯爵家の娘。
ハインリヒ王家とって何の利益もないし、そもそも身分が釣り合わない。
「もし…貴方のお側にいられるのなら、私は側女で構いません」
身勝手なことを言っているのは分かっている。
正妃となる方に申し訳ないということも分かっている。
でも、もし彼が自分を望んでくれるならば…自分も彼の側に居たいから、寵姫としてでも置いてもらえるだけで光栄で幸せなことだから。
「何を馬鹿なことを! 私が貴女を愛妾になどするはずがない!」
強い瞳に怒りの色を滲ませて叱咤する声に驚きつつ、思わず耳を疑う。
「私は貴女以外の妻を迎える気はない。もしそれが私に許されないというのなら、王位継承権など欲しい者にくれてやる」
信じられないものでも見るような眼差しを向けエーデルは彼を凝視した。
素直に喜んでも良いのか。
それすら分からないのに、瞳からは涙が零れ落ちた。
「貴女がそんな風に思っていたとは心外だ」
怒っているのか、呆れているのか、拗ねているのか。
心情を察することもできないような複雑な口調で呟かれたけれど、頬に這わされた指先が涙を拭うその仕草はひどく優しい。
「…申し訳ありません。……でも…っ」
「私は、貴女以外何もいらない。愛しているんだ、エーデル…」
言葉尻を奪うようにして告げられ、強く、その腕に閉じ込められるように抱き締められた。
衣服越しのその逞しい胸に頬を摺り寄せて、思わずそれに応じてしまう。
「それに、貴女が私に相応しくないはずがない。貴女のその瞳がアレキサンドライトであるからこそ、貴女は我が王家に望まれた妃なのだ」
「それは…どういう意味ですか?」
問いかけながら、あの会話を思い出していた。
微睡みの中で聞いた、彼ではないもう一人のあの科白。
『彼女がアレキサンドライトなら、僕にだって手に入れる権利があるのに』
ミーナから聞いた話によれば、それは第二王子のヴェルホルト殿下だと思われるが定かではない。
「勘違いしないで欲しい。瞳がアレキサンドライトだから貴女を欲しいと思ったわけではない。私は貴女自身に惹かれたのだ」
腕の中でこくりと頷くと、ディルクはエーデルの髪に鼻を埋めるように更に身体を引き寄せた。
「我が国ではアレキサンドライトはの王家の象徴であり、国運の隆盛…そして神の加護を意味すると古来から言われてきた。それ故、アレキサンドライトは王族にしか所有を許可されていない。だから貴女は、神の祝福を受けた…我が国に相応しい最高の妃となる」
だから…なのか。
あの声の主が第二王子だったならば、アレキサンドライトを持てる権利があると言ったのはそういう意味だったのだ。
それでは、これは一体何なのだろうか。
抱き締められたままエーデルは胸元で輝く大粒のアレキサンドライトの首飾りへと手を遣ると、それに気付いたディルクが少し身を離して首飾りを懐かしげに見つめた。
「それは、今は亡き私の母のもの。我が王家の妃に代々受け継がれる首飾りだ」
「先代の…王妃様方の…」
「とても良く似合っている」
穏やかな微笑みが眩しくて、思わず高鳴る心音に気付かれまいと俯きかけたその顎を瞬時に捉えられて上向かされる。
「その首飾りのアレキサンドライトも充分大きくて美しいと思っていたが…、貴女の瞳には大きさも輝きも到底敵わないな」
「そんなことありません…」
「皆がこの美しさを虎視眈々と狙っているのに、貴女は自覚していないらしい」
まっすぐ見つめられるその熱い視線に戸惑い、意味もなく視線を泳がせてしまう。
「ーーー貴女を迎える準備は王宮で内々に進められていた。しかし、どこから漏洩したのか、式典招待客のほとんどがそれを知っていて口々に祝いの言葉を述べられた。不審には思ったが、その時はそれでいいと思った。私が貴女を妃に迎えると知れ渡っているなら、貴女を手に入れようなどと目論む輩への良い牽制なると思ったからな」
突然話を式典の夜へと戻され、その脈略のなさに首を傾げかけたが、
「ヴァルトニア公国内でも多数の貴公子が貴女を狙っていたと思うが…、我が国やこの周辺国の王侯貴族の相当数が貴女を欲しがっているのを私は知っている。だから、この紙の差出人が何か動きを見せてこない限り、人物を特定するのはほぼ不可能だろう」
「涙が浮かぶと、紫水晶のように輝くのだな」
彼の包容力にすっぽりと覆われて身も心も束縛されたくなってしまう程の居心地の良さ。
至近距離で見つめる彼の瞳は優しく輝く琥珀と黒曜石。
不意にその瞼が閉じられてゆっくりと近づいてくる気配にエーデルも瞳を閉じた。
それは二度目の口付け。
いや、眠っていた間に薬を口移しされたというなら、これが三度目になる。
唇が重なり合うと優しく触れてから一度離れて、次に強く押し付けられた時には唇の隙間から舌を捻じ込まれエーデルの舌を絡め取る。
「……んっ……ふ…っ」
思わず漏れてしまう甘い吐息。
逃げるのを許さないとでもいうように執拗に追いかけては吸い、角度を変えて口付けられると今度は口内の粘膜を刺激してエーデルの反応を楽しむ。
身体の内側から何か得体の知れない熱いものが込み上げてきそうになる疼きに恐れを感じ、エーデルは唇が離れた隙をついてディルクの胸を押し遣った。
「ディルク様…駄目です…」
俯きながら小さく呟かれたそれに、ディルクは仕方なさそうに笑ってエーデルの髪に口付けを降らせる。
「早く、貴女と婚礼を挙げたい」
彼のその言葉が耳に届いた瞬間、口付けの余韻が一気に消えた。
目を背けたくても背けられない、ずっと引っかかっていた事実。
彼が王子であると知った瞬間からずっと心に憂慮の影を落としてきたこの現実。
エーデルは不安の表情で顔を上げると、思いの丈を紡ぎ出す。
「ディルク様…。私はあの夜、貴方が迎えに来てくださると言った言葉にはいと申し上げました。でも…貴方のお立場を知った今、私の身分では貴方のお妃に相応しくないことを理解しているつもりです。……貴方は第一王子としてのお務めを…国利になるような婚姻を結んでください」
外交を強固にする目的や王族に有益になるような手段として婚姻が結ばれることを知っている。
エーデルは名家でも何でもない隣国の只の一伯爵家の娘。
ハインリヒ王家とって何の利益もないし、そもそも身分が釣り合わない。
「もし…貴方のお側にいられるのなら、私は側女で構いません」
身勝手なことを言っているのは分かっている。
正妃となる方に申し訳ないということも分かっている。
でも、もし彼が自分を望んでくれるならば…自分も彼の側に居たいから、寵姫としてでも置いてもらえるだけで光栄で幸せなことだから。
「何を馬鹿なことを! 私が貴女を愛妾になどするはずがない!」
強い瞳に怒りの色を滲ませて叱咤する声に驚きつつ、思わず耳を疑う。
「私は貴女以外の妻を迎える気はない。もしそれが私に許されないというのなら、王位継承権など欲しい者にくれてやる」
信じられないものでも見るような眼差しを向けエーデルは彼を凝視した。
素直に喜んでも良いのか。
それすら分からないのに、瞳からは涙が零れ落ちた。
「貴女がそんな風に思っていたとは心外だ」
怒っているのか、呆れているのか、拗ねているのか。
心情を察することもできないような複雑な口調で呟かれたけれど、頬に這わされた指先が涙を拭うその仕草はひどく優しい。
「…申し訳ありません。……でも…っ」
「私は、貴女以外何もいらない。愛しているんだ、エーデル…」
言葉尻を奪うようにして告げられ、強く、その腕に閉じ込められるように抱き締められた。
衣服越しのその逞しい胸に頬を摺り寄せて、思わずそれに応じてしまう。
「それに、貴女が私に相応しくないはずがない。貴女のその瞳がアレキサンドライトであるからこそ、貴女は我が王家に望まれた妃なのだ」
「それは…どういう意味ですか?」
問いかけながら、あの会話を思い出していた。
微睡みの中で聞いた、彼ではないもう一人のあの科白。
『彼女がアレキサンドライトなら、僕にだって手に入れる権利があるのに』
ミーナから聞いた話によれば、それは第二王子のヴェルホルト殿下だと思われるが定かではない。
「勘違いしないで欲しい。瞳がアレキサンドライトだから貴女を欲しいと思ったわけではない。私は貴女自身に惹かれたのだ」
腕の中でこくりと頷くと、ディルクはエーデルの髪に鼻を埋めるように更に身体を引き寄せた。
「我が国ではアレキサンドライトはの王家の象徴であり、国運の隆盛…そして神の加護を意味すると古来から言われてきた。それ故、アレキサンドライトは王族にしか所有を許可されていない。だから貴女は、神の祝福を受けた…我が国に相応しい最高の妃となる」
だから…なのか。
あの声の主が第二王子だったならば、アレキサンドライトを持てる権利があると言ったのはそういう意味だったのだ。
それでは、これは一体何なのだろうか。
抱き締められたままエーデルは胸元で輝く大粒のアレキサンドライトの首飾りへと手を遣ると、それに気付いたディルクが少し身を離して首飾りを懐かしげに見つめた。
「それは、今は亡き私の母のもの。我が王家の妃に代々受け継がれる首飾りだ」
「先代の…王妃様方の…」
「とても良く似合っている」
穏やかな微笑みが眩しくて、思わず高鳴る心音に気付かれまいと俯きかけたその顎を瞬時に捉えられて上向かされる。
「その首飾りのアレキサンドライトも充分大きくて美しいと思っていたが…、貴女の瞳には大きさも輝きも到底敵わないな」
「そんなことありません…」
「皆がこの美しさを虎視眈々と狙っているのに、貴女は自覚していないらしい」
まっすぐ見つめられるその熱い視線に戸惑い、意味もなく視線を泳がせてしまう。
「ーーー貴女を迎える準備は王宮で内々に進められていた。しかし、どこから漏洩したのか、式典招待客のほとんどがそれを知っていて口々に祝いの言葉を述べられた。不審には思ったが、その時はそれでいいと思った。私が貴女を妃に迎えると知れ渡っているなら、貴女を手に入れようなどと目論む輩への良い牽制なると思ったからな」
突然話を式典の夜へと戻され、その脈略のなさに首を傾げかけたが、
「ヴァルトニア公国内でも多数の貴公子が貴女を狙っていたと思うが…、我が国やこの周辺国の王侯貴族の相当数が貴女を欲しがっているのを私は知っている。だから、この紙の差出人が何か動きを見せてこない限り、人物を特定するのはほぼ不可能だろう」