アレキサンドライトの姫君
勝手知ったる様子でヴェルホルトは広い部屋の中央に置かれているソファへと腰を下ろすと、そこからエーデルに向かって声をかけた。
「兄さんに入室の許可は取ってあるから、そんなに警戒しなくていいよ」
その言葉を信じても良いのか。
それすら分からないまま、エーデルもソファへと移動してヴェルホルトの向かい側に腰掛けた。
無下に追い返すわけにもいかない。彼は第二王子なのだ。
「何か御用でしょうか?」
極めて平然と、言ったつもりだった。けれどヴェルホルトは咄嗟に失笑し、
「そんなに警戒しないでよ」
少し困ったように眉を下げてそう言った。
「この部屋は暖炉に火が入っていないんだね。少し…寒いな」
「今日はお天気が良いので窓からの日差しで充分だと」
身体の弱いヴェルホルトがこの部屋を寒いと思っているなら好都合だと思った。寒ければ、早々に退室してくれるかもしれない…そんな期待が過ったから。
ディルク以外の男性と二人きりという状況は大変好ましくない。
しかも、ディルクから気を許すなと言われている相手。
もしヴェルホルトの言葉が嘘だったとしたら、安易に入室させてしまったことをディルクに咎められてしまうかもしれない…そんな不安もあった。
「ちゃんと、二人で話をしてみたくてね」
そう切り出したヴェルホルトはまっすぐエーデルを見据えていた。
「何度見ても、吸い込まれそうなすごい瞳だね。なんて綺麗なんだ…」
「ありがとうございます」
「兄さんといい貴女といい…本当に神の申し子みたいな人って存在するんだね。僕なんか神に見捨てられたような人間なのに」
不意に揺れる眼差し。呟かれた悲しげな言葉。
気休めにしかならないような安直な科白なら掛けないほうが良いと思った。
同情はしない、そう思っていたから。
「同じ胎内で同じように育ったはずなのに、どうして兄さんだけが何もかも恵まれて生まれのか…。更には貴女まで手に入れて」
独り言のように小さく呟かれたそれにかける言葉も見つからない。
困惑しながら俯いていると、ふと声色を変えて優しく問いかけられる。
「ねえ、エーデル。貴女の中に兄さん以外の男という選択肢はないの? 例えば、この僕とか」
直球だった。思わず唖然とするほどの。
「え?」
「僕は王位継承権も与えられていない。しかし第二王子だ。僕の妻になれば、公務という縛りもなく、自由に贅沢にこの王宮で一生穏やかに暮らしていけるよ」
「ヴェルホルト殿下」
驚愕が一気に冷めるほどの怒りにも似た感情を露わにしてエーデルはその名を呼ぶ。
「殿下。私は、贅沢な暮らしも王族になることも自由にも興味はありません。ディルク様をお慕いしているから…ディルク様だから共に歩んでいきたいと思っているだけです」
「どうして僕では駄目なの? 兄さんとよく似た顔だよ?」
愛らしい仕草を装ってあどけなささえ漂わせ、そう問いかけてくる表情はやはり信用ならない感じが否めない。
エーデルは静かに一度瞳を閉じてから息を吐き、ヴェルホルトを直視して想いを語る。
「初めは、私とは違う神秘的な瞳にも惹かれ綺麗なお顔立ちにときめきました。でも、お人柄を知れば知るほど実直で頼もしく…深く私を思って下さるお心に恋をしました」
「それなら、僕にだってーーー」
「いいえ。少なくともディルク様は、贅沢にこの王宮で一生暮らしていけるから自分を選んで欲しいなどとは申しません」
凛とした声音できっぱりと言い切り、まっすぐに琥珀色の双眸を見つめた。
「じゃあ、エーデル。言い方を変えよう」
何かを企んでいるような笑みを口角に乗せて、ヴェルホルトはテーブルに手をつき前屈みになって身を乗り出すとエーデルの髪を一房手に取った。
「僕には君が必要なんだ。一生、僕を慰めて欲しい」
「私は、殿下の慰み者にはなりません」
「へえ…。ただ綺麗なだけのつまらない令嬢かと思っていたら、案外芯がしっかりしているんだね。強情そうで、ますます僕好みだ」
「痛っ!」
手にしていた髪をぐいっと引っ張られると体勢が崩れ前傾になる。
豹変したというべきか、本性を見せたというべきか。
悪意に満ちた瞳と愉しげに笑みを浮かべる口元に、恐怖よりも嫌悪感が勝った。
「この荒削りのアレキサンドライトの原石が男を知って輝きを増したら、兄さんはどう思うかな?」
顎を掬われて、至近距離で火花が散るように視線が交わる。
ーーー屈しない。
片手で顎を掴まれもう片方の手は髪を握り締めていて、逃げるに逃げられない。
だけどこのまま唇を奪われるわけにはいかない。
「そんなことをされたら、殿下のお身体に障るのではないですか? 心臓が悪いと…身体が弱いと、伺っております」
「いや、心配には及ばないよ。医師から結婚も子作りも問題ないと言われているしね」
「そんなにディルク様が憎いのですか?」
「憎い…? ああ、そうだね。兄さんは本来僕にも与えられるはずの健康や体力、そして王位継承権までも奪った。だから、今度は僕が奪う番だ。つまり、貴女をーーー」
「嫌っっっ!!」
「兄さんに入室の許可は取ってあるから、そんなに警戒しなくていいよ」
その言葉を信じても良いのか。
それすら分からないまま、エーデルもソファへと移動してヴェルホルトの向かい側に腰掛けた。
無下に追い返すわけにもいかない。彼は第二王子なのだ。
「何か御用でしょうか?」
極めて平然と、言ったつもりだった。けれどヴェルホルトは咄嗟に失笑し、
「そんなに警戒しないでよ」
少し困ったように眉を下げてそう言った。
「この部屋は暖炉に火が入っていないんだね。少し…寒いな」
「今日はお天気が良いので窓からの日差しで充分だと」
身体の弱いヴェルホルトがこの部屋を寒いと思っているなら好都合だと思った。寒ければ、早々に退室してくれるかもしれない…そんな期待が過ったから。
ディルク以外の男性と二人きりという状況は大変好ましくない。
しかも、ディルクから気を許すなと言われている相手。
もしヴェルホルトの言葉が嘘だったとしたら、安易に入室させてしまったことをディルクに咎められてしまうかもしれない…そんな不安もあった。
「ちゃんと、二人で話をしてみたくてね」
そう切り出したヴェルホルトはまっすぐエーデルを見据えていた。
「何度見ても、吸い込まれそうなすごい瞳だね。なんて綺麗なんだ…」
「ありがとうございます」
「兄さんといい貴女といい…本当に神の申し子みたいな人って存在するんだね。僕なんか神に見捨てられたような人間なのに」
不意に揺れる眼差し。呟かれた悲しげな言葉。
気休めにしかならないような安直な科白なら掛けないほうが良いと思った。
同情はしない、そう思っていたから。
「同じ胎内で同じように育ったはずなのに、どうして兄さんだけが何もかも恵まれて生まれのか…。更には貴女まで手に入れて」
独り言のように小さく呟かれたそれにかける言葉も見つからない。
困惑しながら俯いていると、ふと声色を変えて優しく問いかけられる。
「ねえ、エーデル。貴女の中に兄さん以外の男という選択肢はないの? 例えば、この僕とか」
直球だった。思わず唖然とするほどの。
「え?」
「僕は王位継承権も与えられていない。しかし第二王子だ。僕の妻になれば、公務という縛りもなく、自由に贅沢にこの王宮で一生穏やかに暮らしていけるよ」
「ヴェルホルト殿下」
驚愕が一気に冷めるほどの怒りにも似た感情を露わにしてエーデルはその名を呼ぶ。
「殿下。私は、贅沢な暮らしも王族になることも自由にも興味はありません。ディルク様をお慕いしているから…ディルク様だから共に歩んでいきたいと思っているだけです」
「どうして僕では駄目なの? 兄さんとよく似た顔だよ?」
愛らしい仕草を装ってあどけなささえ漂わせ、そう問いかけてくる表情はやはり信用ならない感じが否めない。
エーデルは静かに一度瞳を閉じてから息を吐き、ヴェルホルトを直視して想いを語る。
「初めは、私とは違う神秘的な瞳にも惹かれ綺麗なお顔立ちにときめきました。でも、お人柄を知れば知るほど実直で頼もしく…深く私を思って下さるお心に恋をしました」
「それなら、僕にだってーーー」
「いいえ。少なくともディルク様は、贅沢にこの王宮で一生暮らしていけるから自分を選んで欲しいなどとは申しません」
凛とした声音できっぱりと言い切り、まっすぐに琥珀色の双眸を見つめた。
「じゃあ、エーデル。言い方を変えよう」
何かを企んでいるような笑みを口角に乗せて、ヴェルホルトはテーブルに手をつき前屈みになって身を乗り出すとエーデルの髪を一房手に取った。
「僕には君が必要なんだ。一生、僕を慰めて欲しい」
「私は、殿下の慰み者にはなりません」
「へえ…。ただ綺麗なだけのつまらない令嬢かと思っていたら、案外芯がしっかりしているんだね。強情そうで、ますます僕好みだ」
「痛っ!」
手にしていた髪をぐいっと引っ張られると体勢が崩れ前傾になる。
豹変したというべきか、本性を見せたというべきか。
悪意に満ちた瞳と愉しげに笑みを浮かべる口元に、恐怖よりも嫌悪感が勝った。
「この荒削りのアレキサンドライトの原石が男を知って輝きを増したら、兄さんはどう思うかな?」
顎を掬われて、至近距離で火花が散るように視線が交わる。
ーーー屈しない。
片手で顎を掴まれもう片方の手は髪を握り締めていて、逃げるに逃げられない。
だけどこのまま唇を奪われるわけにはいかない。
「そんなことをされたら、殿下のお身体に障るのではないですか? 心臓が悪いと…身体が弱いと、伺っております」
「いや、心配には及ばないよ。医師から結婚も子作りも問題ないと言われているしね」
「そんなにディルク様が憎いのですか?」
「憎い…? ああ、そうだね。兄さんは本来僕にも与えられるはずの健康や体力、そして王位継承権までも奪った。だから、今度は僕が奪う番だ。つまり、貴女をーーー」
「嫌っっっ!!」