アレキサンドライトの姫君
ミーナに案内された部屋の前で、エーデルは戸惑っていた。
あれから、ミーナに湯浴みを手伝ってもらい入浴後に案内された衣装室には、色とりどりのドレスや宝飾品、装飾品が所狭しと並べられていた。
全て、ディルクがエーデルのために用意したものだという。
目も眩みそうなほどの煌びやかな空間。
そんな中からミーナが選んだのは、深い翠色の比較的装飾の少ないシンプルなドレスだった。
国王の御前や夜会などの公式な場に着る華やかなものとは違い、普段着という表現が相応しい。
とはいえ、それでも上質な絹が使われており、膝あたりから裾に向かって金糸の花の模様がぐるりと施されている。その刺繍の繊細なこと。花弁の陰影まで立体的に表現されていて、とても贅沢なものだった。
胸の下から床まですとんと落ちる絹が歩く度にひらひらと風に乗って広がる。
簡単な化粧と、髪はただ毛先を巻いてもらう程度にした。
開いた胸元を彩る首飾りは倒れる前につけていたあのアレキサンドライトとダイヤのもの。
ドレスは普段用だというのに、何故首飾りだけはこれなのか…と不思議に思ったが、何も言わずに身につけることにした。
そうして身支度を整えてミーナに案内されたディルクの私室は、エーデルが使っていた部屋の隣だった。
先ほどからノックをしようと手を扉に向けては下ろし…を何度か繰り返している。
あんなことがあった後でなんとなく気恥ずかしい気持ちと、「話がある」と呟いた彼の少し深刻そうな瞳の翳り。
いろいろなことが気になりつつも、どうにも素直にその扉をノックする勇気が出ず立ち尽くしてしまう。
しかしこのままここに居るわけにもいかず、エーデルはやっと意を決してそのドアを静かに叩いた。
「どうぞ」
中から聞こえた声に勝手に胸がときめく。
それを抑えるようにひとつ息を深く吐いてから、その重厚な扉を押し開いた。
「失礼します」
扉を閉じてから振り返ると、広大な部屋の奥に彼の執務用の机が置かれその手前には珍しい漆黒のゴブラン織のソファセットが配置されている。
「そこに掛けてくれ」
机で書類に目を通していたディルクが席を立ち、エーデルをソファへと促す。
ソファに腰掛けると、テーブルを挟んだ向かい側のソファにディルクも座った。
「お顔の色が良い。だいぶお元気になられたようで何よりだ」
心から安堵したというような、そして眩しいものでも見るかのように目を細めて微笑まれ、つい俯きたくなってしまう。それでも、感謝と謝罪を述べなければ…とエーデルはその神秘の瞳を真っ直ぐ見つめた。
「はい。ありがとうございました。それと…先ほどは大変失礼なことを…」
「いや。あれは私が悪い。寝起きの姿など女性は見られたくないものだろう」
少しばつが悪そうに苦笑したディルクの姿にエーデルもつられて笑みを浮かべた。
そして、呟く。やっと知ることができた彼の身分を。
「まさか貴方が…ハインリヒ王国の王太子様だったなんて…、驚きました」
「本当はこのように明かすはずではなかったのだ。本当に申し訳ないことをした」
真摯な眼差しが向けられてそう言ったディルクは凜然と頭を下げ、エーデルは慌てて否定する。
「いいえっ! よろしいのです。どうかお顔をあげてください」
責めるつもりなど毛頭ない。ただ、あまりに驚いただけで。
でも、王太子だったと分かってこれまでの彼の行動の全てに納得した。
何故身分を明かしてくれなかったのか、何故姓を教えてくれなかったのか、何故なかなか会いに来てくれなかったのか…。
顔を上げたディルクに微笑みかけるとそれが微笑みで返され、やっと蟠りが解けた感じに胸を撫で下ろして瞳を伏せると、すぐに自分に注がれる視線に気づいて顔を上げた。
そこには先ほどの笑みを消し、少し深刻そうな眼差しで自分を見つめる彼の姿がある。
「あ、あの…?」
思わずそう声をかけると、彼は無言のまま上着のポケットから四つ折りにされた紙を取り出して開き、こちら側へ向けてテーブルの上に置いた。
「エーデル、すまない。本題に入らせて欲しい」
あれから、ミーナに湯浴みを手伝ってもらい入浴後に案内された衣装室には、色とりどりのドレスや宝飾品、装飾品が所狭しと並べられていた。
全て、ディルクがエーデルのために用意したものだという。
目も眩みそうなほどの煌びやかな空間。
そんな中からミーナが選んだのは、深い翠色の比較的装飾の少ないシンプルなドレスだった。
国王の御前や夜会などの公式な場に着る華やかなものとは違い、普段着という表現が相応しい。
とはいえ、それでも上質な絹が使われており、膝あたりから裾に向かって金糸の花の模様がぐるりと施されている。その刺繍の繊細なこと。花弁の陰影まで立体的に表現されていて、とても贅沢なものだった。
胸の下から床まですとんと落ちる絹が歩く度にひらひらと風に乗って広がる。
簡単な化粧と、髪はただ毛先を巻いてもらう程度にした。
開いた胸元を彩る首飾りは倒れる前につけていたあのアレキサンドライトとダイヤのもの。
ドレスは普段用だというのに、何故首飾りだけはこれなのか…と不思議に思ったが、何も言わずに身につけることにした。
そうして身支度を整えてミーナに案内されたディルクの私室は、エーデルが使っていた部屋の隣だった。
先ほどからノックをしようと手を扉に向けては下ろし…を何度か繰り返している。
あんなことがあった後でなんとなく気恥ずかしい気持ちと、「話がある」と呟いた彼の少し深刻そうな瞳の翳り。
いろいろなことが気になりつつも、どうにも素直にその扉をノックする勇気が出ず立ち尽くしてしまう。
しかしこのままここに居るわけにもいかず、エーデルはやっと意を決してそのドアを静かに叩いた。
「どうぞ」
中から聞こえた声に勝手に胸がときめく。
それを抑えるようにひとつ息を深く吐いてから、その重厚な扉を押し開いた。
「失礼します」
扉を閉じてから振り返ると、広大な部屋の奥に彼の執務用の机が置かれその手前には珍しい漆黒のゴブラン織のソファセットが配置されている。
「そこに掛けてくれ」
机で書類に目を通していたディルクが席を立ち、エーデルをソファへと促す。
ソファに腰掛けると、テーブルを挟んだ向かい側のソファにディルクも座った。
「お顔の色が良い。だいぶお元気になられたようで何よりだ」
心から安堵したというような、そして眩しいものでも見るかのように目を細めて微笑まれ、つい俯きたくなってしまう。それでも、感謝と謝罪を述べなければ…とエーデルはその神秘の瞳を真っ直ぐ見つめた。
「はい。ありがとうございました。それと…先ほどは大変失礼なことを…」
「いや。あれは私が悪い。寝起きの姿など女性は見られたくないものだろう」
少しばつが悪そうに苦笑したディルクの姿にエーデルもつられて笑みを浮かべた。
そして、呟く。やっと知ることができた彼の身分を。
「まさか貴方が…ハインリヒ王国の王太子様だったなんて…、驚きました」
「本当はこのように明かすはずではなかったのだ。本当に申し訳ないことをした」
真摯な眼差しが向けられてそう言ったディルクは凜然と頭を下げ、エーデルは慌てて否定する。
「いいえっ! よろしいのです。どうかお顔をあげてください」
責めるつもりなど毛頭ない。ただ、あまりに驚いただけで。
でも、王太子だったと分かってこれまでの彼の行動の全てに納得した。
何故身分を明かしてくれなかったのか、何故姓を教えてくれなかったのか、何故なかなか会いに来てくれなかったのか…。
顔を上げたディルクに微笑みかけるとそれが微笑みで返され、やっと蟠りが解けた感じに胸を撫で下ろして瞳を伏せると、すぐに自分に注がれる視線に気づいて顔を上げた。
そこには先ほどの笑みを消し、少し深刻そうな眼差しで自分を見つめる彼の姿がある。
「あ、あの…?」
思わずそう声をかけると、彼は無言のまま上着のポケットから四つ折りにされた紙を取り出して開き、こちら側へ向けてテーブルの上に置いた。
「エーデル、すまない。本題に入らせて欲しい」