【完】『そろばん隊士』明治編
というのも。
会津松平家は戊辰の戦いのあと、斗南三万石へと移封され、大参事の山川大蔵の配下として川崎も斗南に移り住んだ。
山本の妹の八重と離縁したのもこの時期である。
その後、川崎は商取引で藩の公金を騙し取られ、さらに取引先の外国人商人に訴えられ、身柄を拘束されたのである。
こうして裁判で係争していたときに、川崎が病で倒れ、伝馬町の役人と顔見知りでもあった手塚が、診察に駆り出されたのである。
「ま、医者ってのは検死もあって、診るのは生き身ばかりじゃねぇからなぁ」
という手塚ならではの言い回しではあるが、町医者というのはそうしたものでもあるらしい。