Melty Smile~あなたなんか好きにならない~
こちらへ、と彼を促し、そそくさとエレベータホールへ向かう。
しかしこの男は、歩く私の横に回り込み、ちょっかいをかけてきた。

「華穂ちゃん華穂ちゃん。今日も相変わらずかわいいね」

かわいい? どこが?
顔立ちはけっしてかわいいと言えるほどではないし、服装もこれといって特徴のない、グレーのニットに白いパンツというありきたりの恰好だ。
きっと会う女の子全員に『かわいい』って言ってあげてるに違いない。

「無理して褒めようとしてくださらなくても、大丈夫ですから」

「無理なんて、してないんだけどなあ」

彼はなんてことない顔で頬を掻く。
私はエレベータの上階ボタンを押し、周囲に人がいないのを見計らって少し厳しい口調で言った。

「それから、その『華穂ちゃん』と呼ぶのは、いい加減止めていただけませんか」

「だって『佐藤さん』だなんて、どこの佐藤さんだかわからないじゃない。俺の知り合いだけでも五十人はいるよ」

だからって、下の名前をちゃん付けで呼ぶなんて。
しかも、最初は『華穂さん』だったはずなのに、いつの間にか『華穂ちゃん』に格上げ――格下げだろうか?――されている。

「華穂ちゃんも、俺のこと、下の名前で呼んでみる? なんだかちょっと特別な関係になった気がするよね」

クレームを受け入れるどころか、上塗りしてくる彼。
すべて笑顔で受け流してしまうこの男には、苦情も嫌味も通用しないのだと、薄っすら気付いてはいたのだが……

「遠慮しておきます。存じませんので」

「俺の下の名前はねー――」

「教えていただかなくて結構です」

「相変わらずつれないなー」

刺々しい返しにも案の定へこたれない彼は、私の引きつった顔なんてどこ吹く風で、鼻歌が聞こえてきそうなくらい上機嫌。

ちなみに、事務であり経理も扱う私は、この男のフルネームを知っている。
『デザイン会社M’s』代表取締役兼デザイナー、御堂夕緋。

私が商品開発部へ配属になるずっと前から、田所部長は彼を気に入って新商品のデザイン案を発注しており、私が彼を引き連れて受付と会議室を往復するようになって二年になる。
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