ナミダ列車
あとがき
【ナミダ列車】を最後までお読みいただきありがとうございます。
さて、今回、この小説を書いてゆくにあたってまず、わたしにとっての『非日常』ってなんなのだろう、と思うことがありました。
普段と違った体験をすることができるものを『非日常』というのなら、本を読むことも、映画を見ることもそれに値すると思ったのですが、もっと、人間が生きる上でコアな部分に関わってくるものはないかと考えました。
ヒントが転がっていたの高校時代の通学電車でした。
なんで学校に行くんだろう。
将来のためって親は言うけれど本当にそうなるとは限らないじゃない、と億劫になった時、学校がある駅で降りず、終点までただぼーっと乗っていたいな、と漠然と考えていたことを思い出しました。
そうだ!『旅』だ!
わたしにとっての『非日常』は『旅』であり、またそれは人生でした。
未知のものに出会い、学び、考えさせられ成長してゆくという流れは、生きてゆく上で必要なことです。
将来のこと。自分のこと。逃げ出したい現実。それらに向き合える場所だとも思っています。
だから、
『未知のもの』=ハルナや乗客たち にボックス席で『出会い』、(忘れていた記憶や自分自身のことに)触れ、考えさせられ、過去を乗り越えて一歩踏み出す、この話を書こうと思いました。
主人公いろはは、都合よく記憶を消して過去から逃げ続け、中身のない怠惰な日々=いわば不変の『日常』では、なにも得ることができませんでした。
潜在的な部分で『日常』から抜け出したかった彼女は、大事な日に『非日常』に触れることで少しずつ自分を思い出してゆきます。
これは、自己分析をするのと同じです。
人はふとしたきっかけで自分のことを見つめ直せると私は思います。『旅』ではそれができるのです。
その上で、この話のコンセプトには、『非日常への一歩を踏み出す勇気』を設定しました。
わたしは『日常』から『非日常』へ一歩踏み出すことは、簡単なものではないと思っています。
未知だからこそ怖い。だけど大切な誰かと一緒なら乗り越えられる。無敵になれる。そうやって前を向いて歩くことができる。
人生とはそういうものではないのでしょうか?
今回は、『電車』そのものを人生と見立てて物語を綴ってゆきました。
一度現実から目を背けてしまったいろはが、再び前を見て人生を再出発させる、そんな思いが伝わってくだされば、幸いです。
2017.7.13 圷 紘希