京都あやかし絵師の癒し帖
4
三日月紫苑の屋敷から、銀閣寺の前までは雲母が送ってくれた。
帰り際、えらく不機嫌そうな三日月紫苑を見たが、向こうが関わるなと言ってきているのだから、触れないことにした。
「変わった人ですね」
挨拶をし、さてと背中を向けた瞬間、そんなことを言われた気がした。振り返ったものの、すでに雲母の姿はそこにはなかった。
気づけば夕方。日はだいぶ延びたとはいえ、少々肌寒くもなってくる。銀閣寺の拝観時間も終わり、観光客の姿もだいぶ少なくはなっていた。
ここから大学へ戻り、自転車を取って帰らねばならない。バスに乗ってしまおうか、とも思ったが、どうせここから乗っても家の近くまで通る路線はなくて結局降りてから歩くことに気づき、素直に大学へと歩き始めた。
今日一日で得た情報が多すぎて、心身ともに疲れはしている。しかし同時に、幼いころ幾度も聞いた祖母の話に現実味が帯びて、興奮に似た感情もある。
そういえば妖が訪れる屋敷に住む三日月紫苑とはいったいどういう人物なのだろう。
影が濃くなるなか、桜の花びらが風に乗ってひらひらと落ちてきた。
「考えたところで、わかんないな」
妖狐と絵筆のつくも神と共に暮らす。その状況だって自分には縁遠い。ひとりごちて、背伸びをしてから帰路につく。
家に帰ると、父親もすでに帰宅していて、カレーの匂いが漂っていた。おかえり、という母親の声が、俺を一気に現実世界へと引き戻す。
玄関を上がってすぐにリビングがあって、そこでは父親が新聞片手に野球中継を見ている。リビングに面したカウンターキッチンの向こうでは、鼻歌交じりに母親が夕飯の準備をしている。
最近、よく眠るようになったエノキは、俺の姿を見て頭をあげ「わん」と一声鳴いてくれた。
「大学は、どうだ」
いったん部屋に戻るか、と廊下へ出ようとしたと同時に、父から声をかけられる。
「んー、まあ始まったばかりで」
「教職課程はちゃんと取ったか」
「ああ、うん。組み込んでるよ、安心して」
そうか、とだけ父はいい、新聞へと視線を戻した。その横顔が、息子の不安感で彩られている。
いや、息子の将来に関する不安感、か。
幾度となく、話し合いというよりも喧嘩をした二年間だった。結局兄の助言もあって前には進んだけれど、万事解決と言うよりも現状打開しただけ、といった感じだ。
今でも父は、絵を描きたい、なんていった息子を不甲斐なく思っているのだろう。
エノキに「わん」と鳴かれた。あいつにとっては愚痴を聞かされ続けた二年間だったろう。
ため息を我慢して、廊下へと出る間際、キャビネットの上にある本が目に入った。その瞬間頭に百乃さんが浮かんで、そうだと思いつく。
「すぐにご飯だからね」という母の声に返事をして、階段を上り部屋へと入る。荷物をいつもの場所に置き、デスクにあるノートパソコンを開いた。
もし彼女があの痣を消さない、と決めたとき。
それでも俺は、彼女を晴れやかな気持ちで見送りたいと思う。そのために、なにができるかはわからなかった。俺なんかの絵でそんな気持ちにさせる自信はない。もちろん気の利いたことばなんてかけられないし、見合い相手の男性との縁を取り持つようなこともできないだろう。
なら、物質的に解決する。
帰り際、えらく不機嫌そうな三日月紫苑を見たが、向こうが関わるなと言ってきているのだから、触れないことにした。
「変わった人ですね」
挨拶をし、さてと背中を向けた瞬間、そんなことを言われた気がした。振り返ったものの、すでに雲母の姿はそこにはなかった。
気づけば夕方。日はだいぶ延びたとはいえ、少々肌寒くもなってくる。銀閣寺の拝観時間も終わり、観光客の姿もだいぶ少なくはなっていた。
ここから大学へ戻り、自転車を取って帰らねばならない。バスに乗ってしまおうか、とも思ったが、どうせここから乗っても家の近くまで通る路線はなくて結局降りてから歩くことに気づき、素直に大学へと歩き始めた。
今日一日で得た情報が多すぎて、心身ともに疲れはしている。しかし同時に、幼いころ幾度も聞いた祖母の話に現実味が帯びて、興奮に似た感情もある。
そういえば妖が訪れる屋敷に住む三日月紫苑とはいったいどういう人物なのだろう。
影が濃くなるなか、桜の花びらが風に乗ってひらひらと落ちてきた。
「考えたところで、わかんないな」
妖狐と絵筆のつくも神と共に暮らす。その状況だって自分には縁遠い。ひとりごちて、背伸びをしてから帰路につく。
家に帰ると、父親もすでに帰宅していて、カレーの匂いが漂っていた。おかえり、という母親の声が、俺を一気に現実世界へと引き戻す。
玄関を上がってすぐにリビングがあって、そこでは父親が新聞片手に野球中継を見ている。リビングに面したカウンターキッチンの向こうでは、鼻歌交じりに母親が夕飯の準備をしている。
最近、よく眠るようになったエノキは、俺の姿を見て頭をあげ「わん」と一声鳴いてくれた。
「大学は、どうだ」
いったん部屋に戻るか、と廊下へ出ようとしたと同時に、父から声をかけられる。
「んー、まあ始まったばかりで」
「教職課程はちゃんと取ったか」
「ああ、うん。組み込んでるよ、安心して」
そうか、とだけ父はいい、新聞へと視線を戻した。その横顔が、息子の不安感で彩られている。
いや、息子の将来に関する不安感、か。
幾度となく、話し合いというよりも喧嘩をした二年間だった。結局兄の助言もあって前には進んだけれど、万事解決と言うよりも現状打開しただけ、といった感じだ。
今でも父は、絵を描きたい、なんていった息子を不甲斐なく思っているのだろう。
エノキに「わん」と鳴かれた。あいつにとっては愚痴を聞かされ続けた二年間だったろう。
ため息を我慢して、廊下へと出る間際、キャビネットの上にある本が目に入った。その瞬間頭に百乃さんが浮かんで、そうだと思いつく。
「すぐにご飯だからね」という母の声に返事をして、階段を上り部屋へと入る。荷物をいつもの場所に置き、デスクにあるノートパソコンを開いた。
もし彼女があの痣を消さない、と決めたとき。
それでも俺は、彼女を晴れやかな気持ちで見送りたいと思う。そのために、なにができるかはわからなかった。俺なんかの絵でそんな気持ちにさせる自信はない。もちろん気の利いたことばなんてかけられないし、見合い相手の男性との縁を取り持つようなこともできないだろう。
なら、物質的に解決する。