京都あやかし絵師の癒し帖
「椿さま」
「は、はい」
脱力してしまったところに名を呼ばれ、慌てて背筋を伸ばす。
「ほんに、ありがとうございました。もしあのまま痣を消して、たとえ見合いがうまくいっても、きっとうちは鏡を見るたびに、痛みと喪失感を覚えたでしょう。あそこで迷わせ考えさせてくれたおかげで、そのことに気づけました」
「いや、俺は別にそんなたいしたことは」
「謙遜はときに美学ではないのですよ。椿、こういうときは礼に応えれば良いのです」
「とは言われても」
「私からも礼を述べましょう。あなたにお願いしたおかげで百乃の顔を明るくできました。感謝いたします」
こういうのは慣れてない。
「……お役に立ててなによりです」
精一杯、考えてこれだった。ふたりが頭を上げてくれてなによりだ。
「あ、でももう一つ、せっかくなので百乃さんに」
雲母といくらか話した後、立ち上がりそうな気配を見せた百乃さんを引き留める。「なんでしょうか」と目をぱちぱちさせる彼女に、鞄からファイルを取り出して見せる。
「すみません、記憶を頼りに描いたし、時間がなくてデジタルなんですけど」
今朝、なんとか間に合わせた彼女の絵。絵の具を使っては間に合わないと、久しぶりにペンタブをつないで徹夜で描いた。おかげで寝不足である。
ただ、個人的に勝手な満足感もある。
「まあ、これ……わざわざ……」
彼女はその絵を受け取って見てくれた。その表情からすると、ある程度は喜んでもらえているだろうか。
「あの、これも俺の勝手なことなんですけど」
その絵を横からのぞき込んだ雲母が、ほう、と頷いた。
「百乃さんのその痣、ちっとも嫌な気がしないんです。きっとそれは、あなたがその痣をマイナスに捉えてないからなんじゃないかと……でも、きっとお見合いの席で緊張もするだろうし、気にはなるだろうしと」
「とても、すてきな、髪飾り」
昨夜なんとか母親に事情を説明し、見繕ってもらった髪飾り。
顔にある痣を気持ち隠しつつも、うまく引き立てるものはないか、という無茶ぶりに眉を潜められたのは言うまでもない。それでも、手持ちの雑誌や本の中から選び出してくれたことには感謝する。
それは桜とライラックの、淡くも春めいて晴れやかなものになった。すぐに用意はできないけれど、せめて絵の中だけでも、と描き足した。
左の耳の上から、ほんのすこし、痣にかかるように。
「紫のライラックの花言葉は『恋の芽生え』だそうです。うまくいくことを願って……あと、西洋では『誇り』という意味もあるとか」
「ほんま、すてき。わざわざうちのために……ありがとうございます。いただいてもよろしいでしょうか」
「ええ、もちろんです。もらってやってください」
「余もその絵を見たいぞ」
稲荷寿司をいくつ平らげたのか、満腹そうに腹をさすっていた薊が突如立ち上がった。
どうぞ、と差し出された絵を受け取って、薊はうんうんと頷いた。
「確かによく似合っておる……うむ、旨い稲荷寿司も馳走になったことだし、余からもひとつお祝いをやろう」
ひとしきり眺めたあと、薊はそう言って、ふうっと息を吹きかけた。
その仕草を見て、三日月紫苑が彼女の名を何故か呼ぶ。顔を見れば、すこし焦っているようにも見えた。
ただそれよりも、俺は百乃さんの頭に突如生まれた髪飾りに目を奪われてしまった。
なにもなかったはずの場所に、いきなりぽんと、絵に描いた桜とライラックの髪飾りが出てきたのだ。
百乃さんも突如生まれた違和感に、目を白黒させ、左手でその場所を確認している。
静かに立ち上がった雲母が、キャビネットから手鏡を持ってきて彼女に渡すと、その目から一筋の涙がこぼれた。
「は、はい」
脱力してしまったところに名を呼ばれ、慌てて背筋を伸ばす。
「ほんに、ありがとうございました。もしあのまま痣を消して、たとえ見合いがうまくいっても、きっとうちは鏡を見るたびに、痛みと喪失感を覚えたでしょう。あそこで迷わせ考えさせてくれたおかげで、そのことに気づけました」
「いや、俺は別にそんなたいしたことは」
「謙遜はときに美学ではないのですよ。椿、こういうときは礼に応えれば良いのです」
「とは言われても」
「私からも礼を述べましょう。あなたにお願いしたおかげで百乃の顔を明るくできました。感謝いたします」
こういうのは慣れてない。
「……お役に立ててなによりです」
精一杯、考えてこれだった。ふたりが頭を上げてくれてなによりだ。
「あ、でももう一つ、せっかくなので百乃さんに」
雲母といくらか話した後、立ち上がりそうな気配を見せた百乃さんを引き留める。「なんでしょうか」と目をぱちぱちさせる彼女に、鞄からファイルを取り出して見せる。
「すみません、記憶を頼りに描いたし、時間がなくてデジタルなんですけど」
今朝、なんとか間に合わせた彼女の絵。絵の具を使っては間に合わないと、久しぶりにペンタブをつないで徹夜で描いた。おかげで寝不足である。
ただ、個人的に勝手な満足感もある。
「まあ、これ……わざわざ……」
彼女はその絵を受け取って見てくれた。その表情からすると、ある程度は喜んでもらえているだろうか。
「あの、これも俺の勝手なことなんですけど」
その絵を横からのぞき込んだ雲母が、ほう、と頷いた。
「百乃さんのその痣、ちっとも嫌な気がしないんです。きっとそれは、あなたがその痣をマイナスに捉えてないからなんじゃないかと……でも、きっとお見合いの席で緊張もするだろうし、気にはなるだろうしと」
「とても、すてきな、髪飾り」
昨夜なんとか母親に事情を説明し、見繕ってもらった髪飾り。
顔にある痣を気持ち隠しつつも、うまく引き立てるものはないか、という無茶ぶりに眉を潜められたのは言うまでもない。それでも、手持ちの雑誌や本の中から選び出してくれたことには感謝する。
それは桜とライラックの、淡くも春めいて晴れやかなものになった。すぐに用意はできないけれど、せめて絵の中だけでも、と描き足した。
左の耳の上から、ほんのすこし、痣にかかるように。
「紫のライラックの花言葉は『恋の芽生え』だそうです。うまくいくことを願って……あと、西洋では『誇り』という意味もあるとか」
「ほんま、すてき。わざわざうちのために……ありがとうございます。いただいてもよろしいでしょうか」
「ええ、もちろんです。もらってやってください」
「余もその絵を見たいぞ」
稲荷寿司をいくつ平らげたのか、満腹そうに腹をさすっていた薊が突如立ち上がった。
どうぞ、と差し出された絵を受け取って、薊はうんうんと頷いた。
「確かによく似合っておる……うむ、旨い稲荷寿司も馳走になったことだし、余からもひとつお祝いをやろう」
ひとしきり眺めたあと、薊はそう言って、ふうっと息を吹きかけた。
その仕草を見て、三日月紫苑が彼女の名を何故か呼ぶ。顔を見れば、すこし焦っているようにも見えた。
ただそれよりも、俺は百乃さんの頭に突如生まれた髪飾りに目を奪われてしまった。
なにもなかったはずの場所に、いきなりぽんと、絵に描いた桜とライラックの髪飾りが出てきたのだ。
百乃さんも突如生まれた違和感に、目を白黒させ、左手でその場所を確認している。
静かに立ち上がった雲母が、キャビネットから手鏡を持ってきて彼女に渡すと、その目から一筋の涙がこぼれた。