誰も知らない彼女
べつにそこまでする必要はないんじゃないかと思ったけど、手当てしてもらっている身ではなにも言うことができない。


スツールに座ってから数分で、磐波さんは完璧に手当てしてくれた。


左腕を汚していた血はどこにもなくて、そこには真っ白な包帯が巻かれている。


「人の手当てするのはじめてだったからどうやればいいかわからないけど、これで我慢して」


ボソボソと消え入りそうな声でつぶやく彼の顔が、なぜか赤い。


気のせい? それとも、本当に?


とくに深い意味はないだろうと思い、スルーする。


「……ありがとうございます」


そう返す私の声もよく聞こえない。


これじゃあ、どっちが患者なのかわからなくなる。


包帯に包まれた腕でいつの間にかほてった頬を冷まそうとした、そのとき。


包帯をしていた腕をパシッと掴まれ、磐波さんの顔が徐々にこちらに近づいてきた。


どんな表情をしているのか確認しようとした瞬間、唇にやわらかな感触が襲ってきた。


声を出そうとしても出すことができない。


だけど、なぜか私は止めなかった。


唇になにかが触れられたことに嫌悪感はいっさいなかったのだ。


なんでだろう。


ボーッとそんなことを考えている間に、至近距離にあった顔が離れて、ばつが悪そうに目をそらす。
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