誰も知らない彼女
そうだ。


私を抱き寄せるこのぬくもり、感じたことがある。


合コンの日の夜に私の手を包み込んだあたたかい感触とまったく同じだ。


その正体になんとなく予想がつきながらも、おそるおそるうしろを振り向いた。


「……死ぬな。お前だけはなにがあっても、絶対に死ぬな……!」


目をうるうるさせて抱きしめる力を強くする彼。


やはり磐波さんだ。


彼の感情を押し殺した声が届いた瞬間、目から滝のような涙があふれでてきた。


「……っ、い、い……わなみさん……」


ポタポタと目からこぼれた涙は頬をつたって、磐波さんの上着の袖にいびつな水玉模様を作っていく。


よかった……。


階段から落ちる前に磐波さんが来てくれて、本当によかった。


なんで私は生きることをあきらめたのだろう。


なんで私は、平気で自分の命を捨てようとしたのだろう。


ついさっきまで死のうと思っていた自分がまるで嘘のようだ。


数分間涙を流し、ようやく落ち着きを取り戻した。


そこではっと我に返る。


「い、磐波さん……上着に涙の跡がついちゃってますよ。わ、私が涙を出したせいですよね、ごめんなさい……!」


慌ててスカートのポケットからハンカチを取り出して、それを磐波さんの上着に当てようとしたが、ハンカチを持った手が磐波さんの手に軽く当たる。


「いや、いいよ。君が死なずに済んだのならこのままでいいんだ」


このままでいい。


それがどんな意味を持つのかよくわからないけど、さらに胸が熱くなった。
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