誰も知らない彼女
私の中にひそむ悪い予感が的中したのか、悠くんが私の隣にやってきてナイフを差しだしてきた。


刃先が光ったような気がして、「きゃっ……!」と悲鳴をあげる。


それと同時に一歩うしろに下がったけど、しりぞいたことに関しては悠くんは気づかなかった。


ほっと安堵する自分をスルーして、おそるおそる悠くんに視線を向ける。


「な、なに……?」


「ほら、これ。このナイフ、この男の血で真っ赤になってるんだ。きれいだろ? こいつをもっと赤く染めたいから、こいつをこの男の体に刺してくれないか?」


「……っ!」


もう悠くんは磐波さんを見ていなかった。


今は私とナイフにしか目に入っていない。


この場所に、私の知っている悠くんがいないと思うと、胸が痛くなる。


本物のナイフに刺されるよりずっと痛く感じる。


これ以上、磐波さんを傷つけるのはやめてほしいと思う。


だけど止められない気がする。


狂いはじめた悠くんを止めるには……。


しばらく目をしばたたかせたあと、私は悠くんに差しだされたナイフをゆっくりと手に取った。


柄の部分までついてしまった血を触りたくなかったけど、それよりもやらなければならないことを優先すべきだと思い、血に抵抗しなかった。


グッとナイフを握る手に力がこもる。
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