誰も知らない彼女
右手にナイフを握る感触をしっかりと感じたあと、羽織っていたコートを磐波さんの頭にかぶせた。


バサッと音を立てて枯れ葉と落ち葉を踊らせるコートが磐波さんの顔の上に落ちたのを見て、体を悠くんのほうに向けた。


悠くんはヘラヘラと笑っている。


そんな笑い方で笑っていられるのは今のうちだ。


こんなの……私の知ってる悠くんじゃないよ。


握っている柄の部分に手汗がにじんで血が手のひらに染み込みそうになる。


でも、今はそんなこと関係ない。


「……悠くん」


「なに?」


「私を恋愛的な意味で好きだって言ってくれたの、嬉しいよ。ありがとう」


「そっか。だったら俺たちは……」


「でも、私は悠くんのその気持ち、全部受け止めきれない」


首を左右に振って言葉を拒絶した瞬間、今まで不気味に笑っていた悠くんの表情が崩れた。


まるで地獄に叩き落されると知らされたときの善人のようだ。


しかし、悠くんは本当に善人ではない。


私や家族にずっと隠していた悠くんの素顔は、思っていたよりもずっと汚かった。


いとこ同士だからというのもあるけど、これが受け止めきれないと拒否した一番の理由だ。


断られることをまったく予想していなかったのか、悠くんが指が3本入るくらい口を大きく開けてポカンとしている。


あきらめてよ。
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