あなたしか見えないわけじゃない
最後の夜
やっと気が付いた。
ああ、そういうことかと思った。

いつからキスしていないんだろう。
身体を重ねたのはいつだっただろう。
もう思い出せない。




彼のマンションの部屋の水槽で優雅に泳ぐ海水魚とひらひら揺れるサンゴを見つめていた。
部屋の灯りは月明かりと水槽のライトだけで充分。
水槽の前には2人掛けのソファー。

私はいつもそこに座ってボーッと水槽を眺めて彼の帰りを待っていた。

「帰ってきて君がそこにいるのを見ると嬉しいし安心する」
「そこは君の指定席だね」
そんなことを言われた頃が懐かしい。

今はどう思っているのだろうか。
夜遅く帰宅してリビングのドアを開けると私がいる。
もちろん、私にも仕事があるから毎日じゃないけれど。

「ただいま」
「お帰りなさい」

私の用意した夕食を食べてシャワーを浴びて一緒に眠る。

朝、職場が遠い私は彼が寝ている間に先に出ることが多い。
彼を起こさないようにそっとベッドを抜け出し、簡単にメイクして静かに玄関を出る。

彼のマンションは都内。
私の職場とアパートは横浜。

以前の私は自分の車で彼のマンションに来ていたが、彼が自分の車を購入したから、私の駐車スペースは無くなり私は電車で来るようになった。
あいにく近くにパーキングは無かったのだから仕方ない。

通勤には車を使う時の倍以上の時間がかかるようになったから少し負担だった。
でも、私が彼のマンションに行くのは私たちの中では日常だったから仕方ないと思っていた。

でも、それが日常だと、当たり前だと思っていたのは私だけだったのかもしれない。
彼はもう自分の日常から私を外したがっているのかもしれない。

私が勝手に来ていただけ。
そんな気がした。

身の回りの世話をしてくれる私がいると楽だった。
だから、他に好きな女性がいても自分から別れを切り出さないのか。

ああ、そうだったのか。
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