王太子殿下は無垢な令嬢を甘く奪う
 途中声をかけられ、フレイザーと挨拶を交わす優美な紳士は、バルト国という近隣の国王だという。

 そばに佇む愛らしい王妃と目が合い、聞いたことがある国の名前だと思ったとき、マリーの鼻を掠めた甘い香りにふと懐かしさを感じた。

 薔薇の香りだ。

 ウィルがマリーの誕生祝いにとくれた、真っ赤な薔薇と同じ香りが、優美なバルト国のふたりから漂ってきた。


 ――――『愛しているよ、マリー』


 あの薔薇に想いを込めたようなウィルの言葉を思い出し、きゅうっと胸が窮屈になる。


「いい香り……」


 あの日の懐古に陥り、瞳を潤ませるマリーは、あのとき彼の前で呟いた言葉を思わず口にしてしまった。

 え?、とバルト国王と王妃が首を傾げると、マリーは慌てて現実に舞い戻り、ふたりに向かって姿勢を低くしてみせる。


「マリーアンジュ・イベールと申します。
 御国は大変美しい所だとお話はかねがね伺っておりました。いつかは薔薇の香り満ちる御国に足を運んでみたいと思っております」
 

 マリーのそつのない姿に嬉々として笑むフレイザーは、マリーを婚約者だと堂々と告げた。

 何もフレイザーを喜ばせるためにお利口な振りをしたわけではない。

 機械人形のように振舞っていれば、心が痛むことはないからだ。

 「それでは」と軽く別れの挨拶を済ませるフレイザーは、マリーの腰を馴れ馴れしく引き寄せ、相手方に見せつけた。

 その様子を見ていたのは周囲も同じで、人目もはばからず寄り添い合うように見えるふたりに、頬を染めているようだった。
< 155 / 239 >

この作品をシェア

pagetop