HARUKA~始~
―――――先客がいた。


「はるちゃん」







なぜ



どうして



あんたが



ここにいるの?



タイミング、悪過ぎ。

踵を返し、階段を下りて行く。


「待って!」


左腕をがっしりと掴まれた。



―――――前もあった、こんなこと。



私は残っている力を精一杯出して抵抗するもののヤツは意外と力が強い。微動だにしなかった。


「1人にさせて。私、今誰とも会いたくないの」

「はるちゃん、ゲームしよぉ」

「はっ?ゲーム?」

「グリコのやつ。小さい頃やったじゃん」


「やったじゃん」って、アンタ、私の何を知ってるの?


「いいから、早く離して!」

「ええ~、やだぁ」

「離してよ。私、アンタのお母さんじゃない」

「やだ。絶対、やだ」

「何が、嫌なの?そんなアンタの気分で動けるほど、私アンタに隷属してないし」


これ以上無いくらい毒針を刺したはずなのに、ヤツは全く怯まない。

毒が回らないくらい強靭な身体には見えないけど。

むしろ私の左腕にかかる力が強くなっている。


「本当に痛いの。私、血流止まって死ぬよ」


死という言葉まで出したのにヤツは言うことを聞かない。

そして、こういう時に限って王子様も爽やか少年も助けに来てくれない。


「手を離したら、はるちゃんいなくなっちゃうから」





何言ってるの?


ますます分からなくなった、コイツのこと。


「私、ゲームしないし、ここにも居たくない。だからお願い。離して」


ヤツは何も言わず、ただ手に込める力をさらに強めた。


「私、暇じゃないの。弁当食べたいし、みんなの応援にも行きたいし…」

「...はるちゃん、嘘つきだね」


グサッと矢が私の心のド真ん中を射った。


脳裏に思い出したくない記憶がフラッシュバックする。

 




『嘘つき』


『嘘つきは死ねよ』


『生きている価値なんて無いわ』


『悲劇のヒロインぶってうざいんだよ』






胸が…

胸が…

苦しい




「本当に離して!!」







静寂が私達を包み込む。



がんばれ~

ファイト!

ナイシュー!!



生徒達の明るい歓声が、より私達の回りの空気を淀んで暗いものにする。

急に洞窟に閉じ込められたみたいな感覚。





私…








「はるちゃん」


ヤツは声を絞り出して言った。


「はるちゃんはおれのことちゃんと見てくれたことある?」


さっき溶け出したはずの心が瞬間冷凍された。

私は振り返り、ヤツの顔をチラリと見る。

笑うとできるヤツのえくぼは見当たらないし、ヤツの目は刃物のように鋭く、目を合わせられない。







記憶のどこかにくすぶっているものがある。

記憶の蓋がカタカタ小刻みに動いて今にも開きそうで開かない。




でも知ってる。
この感じ、覚えている。




「ごめんねぇ、困らせちゃったねぇ。お詫びにこれあげるから後で食べてねぇ。じゃあ、バイバーイ!」


ヤツの手から私の腕がするりと抜けて、力無く元の位置に戻る。


「グ、リ、コ。チ、ヨ、コ、レ、エ、ト。パ、イ、ナ、ッ、プ、ル。グ、リ、コ…」


1人で呪文を唱えながらヤツは帰って行った。


左腕が、まだ電流が走っているみたいにビリビリして痛い。
麻痺して感覚が鈍り、力が入らない。










―――――手を離したらはるちゃんいなくなっちゃうから。



―――――はるちゃん、おれのことちゃんと見てくれたことある?









分かるようで分からない。

掴めたようで、実際は1ミリも触れていない。



私は、石澤玄希が見えない。

目を伏せてしまう。

いつも、いつも。

縮まりそうなキョリを私が一方的に拒んでいるんだ。


明白な理由も無いのに…






 


肩を落としながら教室に帰ると、ヤツはランチタイムだった。

今日の昼食はミニサイズのパンケーキ。
もちろん生クリームたっぷりで、ブルーベリーだかラズベリーだか私には判別できないけど、とにかく濃厚そうなソースを惜しみも無くかけて口いっぱいに頬張っている。

口の回りには生クリームがベッタリついて、鼻の上にもちょこんと乗っている。

笑っているようで笑ってない。

無関心なようで、きちんと見ている。

こんなにも長い時間ヤツを凝視したことはなかった。



まだ一回も謝ってない。

私が悪いってわかりきっているのに…



どうして私ばかりこんなに辛い思いをしなきゃならないの?



神様はやっぱり意地悪だ。






午後12時23分56秒。

右手のミルクチョコレートが溶け出していた。
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