あの夏の続きを、今
「セイジ……本当にいいの?私でいいの?ってか、何で私なの?」
私が恐る恐る尋ねると、セイジは答えた。
「え、別にいいじゃん。だって、幼なじみだろ?俺ら」
「幼なじみ……」
その言葉をゆっくりと繰り返した、その瞬間、胸に何か重いものがずしりと乗ってくるような感覚を覚えた。
────幼なじみ。
私はセイジとどういう関係なのか、他人に説明する時には、いつもこの言葉を使っていた。
なぜなら、たったこれだけの短い言葉で、細かい説明もなしに、一瞬で相手を納得させることができるからだ。
けれど────本当のところは、私とセイジの関係が本当に「幼なじみ」と言えるのかどうかは、なんとも微妙なところなのだ。
確かに私とセイジは、小さい頃はよく一緒にいた。
親同士が職場の同僚で、家がそこそこ近く、近所に同世代の子供があまりいなかったということもあり、私たちが小学校に入るまでは、近くの公園やお互いの家でよく一緒に遊んだものだ。
けれど、小学校に入ってすぐ、私はレナとハルトに出会った。
どういう経緯で3人が仲良くなったのは覚えていないが、その3人で遊ぶことが増えて、セイジと遊ぶ時間は自然と減っていった。
ただ、偶然にも6年間クラスが一緒だったので、話す機会は他の異性よりも格段に多く、私の中では、「同性の友達とはまた違った、何でも気軽に話せる相手」という位置づけだったのだ。
特に、小学校6年生の時は、レナもハルトも別のクラスで、セイジが同じクラスだったので、たまたま一緒に話したりすることが多くなり、その時の関係を中学校にも引き継いだ、という感じだ。
だから、第三者にはセイジのことを「幼なじみ」と言っているけれど、私とセイジの間に「幼なじみ」という言葉が出てくることは決してなかった。
実際のところ、典型的な「幼なじみ」からはかなりずれた位置にいると思っていたのだ。
だから、こうして本人に「幼なじみ」と言われると、とてつもない違和感を感じてしまうのだ。