あの夏の続きを、今
取り出した楽譜は、雨でびしょびしょに濡れて、インクが滲んでいた。
「雨でだめになったかー」
「どうしましょう…」
「あ、大丈夫大丈夫。これあげるから、持ってていいよ」
松本先輩はそう言うと、ファイルから楽譜を取り出して私に手渡した。
「これ、パート練習の時に参考にしようと思って持ってた2ndの楽譜が丁度あるから、これ使って。少し書き込みあるけど、大丈夫かな?」
受け取った楽譜には、3、4箇所ほど、「運指」「テンポ 気をつける」「ハーモニー」といった書き込みが、松本先輩の小さく控えめな字で書かれていた。
「はい!ありがとうございます!」
「じゃあ、テンポ速くなるところからやってみようか」
「お願いします!」
こうして、私と松本先輩、二人きりでのパート練習が始まった。
松本先輩との一対一での練習は何度もしているのに、今日はどこにも他の部員がいない、本当に「二人きり」の練習だ。
私の音が届く相手は、今は松本先輩だけ。
松本先輩に聞いてもらうと、自然と音が良くなってくる気がする。
先輩の音に近づけるようになりたいと思って、頑張れるからだろうか。
────ぱぁーーーーーーん。
静かな音楽室の中で、二人のトランペットの音の余韻と雨音とが重なり合う。
いつもと違う状況で、松本先輩の姿を見るだけでも緊張してしまう。
「そう、そんな感じ。そこのフレーズはバッチリだね」
「あ、ありがとうございます」
私が言い終わった時、松本先輩は窓の外をぼんやりと眺めていた。
────その横顔は、なんだか寂しそうにも見える。
「あれ、先輩、どうしたんですか」
「いや、なんでもないよ」
「……」
「………」
先輩が返事をしてから、数秒間の沈黙が続いた。先輩は相変わらず、窓の外を見つめたままだ。
私も窓の外に目をやったが、見えるのは相変わらず止みそうにない大雨で水たまりのできた運動場だけだ。
「雨、止まないね」
沈黙を破って、ふいに松本先輩がそう言った。
そっと目を閉じたその表情は、決して弱みなど見せそうもない、いや、見せたことのない松本先輩だとは信じられないような寂しさを漂わせていて、それでもどこか美しいようにも感じられた。
「早く、止むといいですね」
私は窓の外に向いたまま、そう答えた。