クラウンプリンセスの家庭教師
動き出す陰謀
少しまずい事になっている。ヴァルターは焦っていた。王妃から開放されて、宮廷に戻ると、トリスの家庭教師としてすっかり収まったカイ・グロースがいた。こんな男が国にいたのか。存外象牙の塔には人材が眠っていたらしい。そう毒づいてももう遅い。すべてにおいて、カイはヴァルターに優っていた。
何よりも耐え難かった事は、トリスがカイを見る眼差しだった。宮邸では、犬猿の仲、水と油、二人の言い争う声が絶えないという事になっていたが、身近に見ればそれは惹かれ合いながらも素直になれない男女のそれにしか見えなかった。トリスの視線はヴァルターを通りすぎてカイに注がれている。カイからトリスへの視線もまた、劣情をはらんでいるようにしか見えなかった。
男女の関係には至っていないだろうが、何をきっかけにして「そう」ならないとも限らない。
そうなった時に、講じる策がガイナとそうかわらないというのが、忌々しかったが、既に時は遅い。二人が結ばれてしまってからでは、横恋慕は更に難しい事だろう。幸いにして、トリスはこの短期間でたいそう美しくなっていた。元々不美人では無かったが、敢えて己の美しさを隠そうとするふしがあった。それは今までと変わらない。なめらかな曲線を隠すように仕立てられたドレス。彼女を鎧うような装いは今までと変わらないが、そうしていてもにじみでてしまう色香は、本能として意志によって止める事ができないらしい。雄を意識した雌の色香は、隠せば隠すほどに、暴き出したいという劣情をかりたてた。
目的をとげるには、少し策を弄する必要があった。何しろ相手は世継ぎの王女。クラウンプリンセスとして、正式に任命された身である。失敗すれば、死罪まではいかずとも、財産没収の上流罪か、監獄送りは免れまい。そうならない為には、どうしたらいいのか。
ヴァルターは薬に頼る事にした。トリスは高潔だが、あの王妃の娘で、おそらく快楽には弱いはず。一度肌を重ねてしまえば、虜にすることはそう難しい事では無い。王妃がそうであるように。無論、王妃は自分以外にも情人がおり、ヴァルター一人の虜ではないが、相手はトリスである。一度肌を重ねた相手に対して、王妃よりは誠実に振る舞ってくれるだろう。処女を捧げた相手に対して操をたててくれるかもしれない。
ヴァルターの考えは楽観的に過ぎたが、所詮彼もぼんぼんで、狭い宮中での色恋事しか知らない。王妃の秘密の愛人。王女にとっては初恋の相手。
自分が本気を出せば、トリスが落ちないはずはないという根拠の無い自信が、彼の少ない理性と自制心を上回った。カイの出現による焦りが、そこまでは愚かでは無かった男の衝動を駆り立てしまった。
グリチーネ家の現当主、デレク・グリチーネは王妃の兄で、現国王にとっては義理の兄にあたる。とはいえ、臣下は臣下に過ぎない。病弱であっても王は愚かでは無いので、ひとつの家の専横を易々と許してはくれなかった。もちろん、実務の部分で、一族の者や、従う者は多くあるから、私腹を肥やす方法はいくらでもあった。だが、限界はあり、そして、野心には果てが無かった。できれば、王妃、ヘルミーナが、王子を産み、王位を継いでくれる事が最も理想的ではあった。王を補佐する立場より、王を後見する立場の方が権限は多い。さらに、王子と自分の娘を娶せれば、さらに一族の基盤は盤石といえただろう。
しかし、ヘルミーナは、ミーナは一人娘のベアトリクスを産んだだけで、他は、男子はおろか、第二子にも恵まれなかった。この際、王の種でもかまうまいと愛人を多数あてがったが、孕む様子は無かった。
王の側室が、一人娘を産んでしまい、二人目の男子が誕生する事を恐れたデレクは、側室を毒殺した。トリスの妹にあたる王女は、他の後ろ盾に立たれる前に巫女として聖堂に放り込んだ。
後はトリスが女王に即位してくれれば、後見役として権力を振るうことができるだろう。と、楽観視していたのだが、トリスはデレクの予想を上回る王女だった。女だてらに勉学に励み、剣技も馬術も宮邸騎士級ときている。かしこい姪は、グリチーネ家を疎ましく思っているようだ。生意気ではある、が、女である事はむしろ幸いだった。王子であったらと思うと目も当てられないが、いかにかしこくとも、女は女に過ぎない。
デレクの息子、ガイナは乱暴で堪え性が無く、宮邸人としては三流以下であったが、生意気な女をよき妻、よき母として躾けるくらいであれば父の役にたってくれるだろう。デレクの妻も、元は宮邸の女官であった。美しく、聡明で、王の側室にとも言われていた女だったが、力づくで奪い、よき妻、母として躾けた。多産で五人の娘の母となり、今は彼の母親の世話をよくしている。
生意気な女を黙らせる術はたった一つだ。自分が弱い女である事を、体でわからせてやればよい。
仮に、ガイナが失敗したとしても、ヴァルターか、カイが、男としての役割をなしてくれるに違いない。他国の世継ぎ王子と婚姻などという事になったら、国が滅んでしまう。これは愛国心ゆえの事なのだ、と。すべては自分の手のひらの上の出来事。トリスの相手は誰でもよかった。(もちろんグリチーネ家の者であるにこしたことは無いが)聡明な女王など不要だった。次代に王を生み出す腹以外の役割を、トリスに求めてはいなかった。
何よりも耐え難かった事は、トリスがカイを見る眼差しだった。宮邸では、犬猿の仲、水と油、二人の言い争う声が絶えないという事になっていたが、身近に見ればそれは惹かれ合いながらも素直になれない男女のそれにしか見えなかった。トリスの視線はヴァルターを通りすぎてカイに注がれている。カイからトリスへの視線もまた、劣情をはらんでいるようにしか見えなかった。
男女の関係には至っていないだろうが、何をきっかけにして「そう」ならないとも限らない。
そうなった時に、講じる策がガイナとそうかわらないというのが、忌々しかったが、既に時は遅い。二人が結ばれてしまってからでは、横恋慕は更に難しい事だろう。幸いにして、トリスはこの短期間でたいそう美しくなっていた。元々不美人では無かったが、敢えて己の美しさを隠そうとするふしがあった。それは今までと変わらない。なめらかな曲線を隠すように仕立てられたドレス。彼女を鎧うような装いは今までと変わらないが、そうしていてもにじみでてしまう色香は、本能として意志によって止める事ができないらしい。雄を意識した雌の色香は、隠せば隠すほどに、暴き出したいという劣情をかりたてた。
目的をとげるには、少し策を弄する必要があった。何しろ相手は世継ぎの王女。クラウンプリンセスとして、正式に任命された身である。失敗すれば、死罪まではいかずとも、財産没収の上流罪か、監獄送りは免れまい。そうならない為には、どうしたらいいのか。
ヴァルターは薬に頼る事にした。トリスは高潔だが、あの王妃の娘で、おそらく快楽には弱いはず。一度肌を重ねてしまえば、虜にすることはそう難しい事では無い。王妃がそうであるように。無論、王妃は自分以外にも情人がおり、ヴァルター一人の虜ではないが、相手はトリスである。一度肌を重ねた相手に対して、王妃よりは誠実に振る舞ってくれるだろう。処女を捧げた相手に対して操をたててくれるかもしれない。
ヴァルターの考えは楽観的に過ぎたが、所詮彼もぼんぼんで、狭い宮中での色恋事しか知らない。王妃の秘密の愛人。王女にとっては初恋の相手。
自分が本気を出せば、トリスが落ちないはずはないという根拠の無い自信が、彼の少ない理性と自制心を上回った。カイの出現による焦りが、そこまでは愚かでは無かった男の衝動を駆り立てしまった。
グリチーネ家の現当主、デレク・グリチーネは王妃の兄で、現国王にとっては義理の兄にあたる。とはいえ、臣下は臣下に過ぎない。病弱であっても王は愚かでは無いので、ひとつの家の専横を易々と許してはくれなかった。もちろん、実務の部分で、一族の者や、従う者は多くあるから、私腹を肥やす方法はいくらでもあった。だが、限界はあり、そして、野心には果てが無かった。できれば、王妃、ヘルミーナが、王子を産み、王位を継いでくれる事が最も理想的ではあった。王を補佐する立場より、王を後見する立場の方が権限は多い。さらに、王子と自分の娘を娶せれば、さらに一族の基盤は盤石といえただろう。
しかし、ヘルミーナは、ミーナは一人娘のベアトリクスを産んだだけで、他は、男子はおろか、第二子にも恵まれなかった。この際、王の種でもかまうまいと愛人を多数あてがったが、孕む様子は無かった。
王の側室が、一人娘を産んでしまい、二人目の男子が誕生する事を恐れたデレクは、側室を毒殺した。トリスの妹にあたる王女は、他の後ろ盾に立たれる前に巫女として聖堂に放り込んだ。
後はトリスが女王に即位してくれれば、後見役として権力を振るうことができるだろう。と、楽観視していたのだが、トリスはデレクの予想を上回る王女だった。女だてらに勉学に励み、剣技も馬術も宮邸騎士級ときている。かしこい姪は、グリチーネ家を疎ましく思っているようだ。生意気ではある、が、女である事はむしろ幸いだった。王子であったらと思うと目も当てられないが、いかにかしこくとも、女は女に過ぎない。
デレクの息子、ガイナは乱暴で堪え性が無く、宮邸人としては三流以下であったが、生意気な女をよき妻、よき母として躾けるくらいであれば父の役にたってくれるだろう。デレクの妻も、元は宮邸の女官であった。美しく、聡明で、王の側室にとも言われていた女だったが、力づくで奪い、よき妻、母として躾けた。多産で五人の娘の母となり、今は彼の母親の世話をよくしている。
生意気な女を黙らせる術はたった一つだ。自分が弱い女である事を、体でわからせてやればよい。
仮に、ガイナが失敗したとしても、ヴァルターか、カイが、男としての役割をなしてくれるに違いない。他国の世継ぎ王子と婚姻などという事になったら、国が滅んでしまう。これは愛国心ゆえの事なのだ、と。すべては自分の手のひらの上の出来事。トリスの相手は誰でもよかった。(もちろんグリチーネ家の者であるにこしたことは無いが)聡明な女王など不要だった。次代に王を生み出す腹以外の役割を、トリスに求めてはいなかった。