好きな人が現れても……
「出産後の妻は病状が一気に悪化していって、抗ガン剤治療をしながら赤ん坊の世話もし続けた。

奇跡のように一年近く生き延びて、梅の花が咲く頃、子供を胸に抱いたまま逝ったんだ……」


目の奥に涙を潤ませて囁くと、課長は立ち上がり屋上のフェンスに近付いた。
ぎゅっと両手でフェンスを握りしめ、私はその左手の薬指に嵌めてるプラチナの意味をしみじみと感じ取った。



課長は今もずっと奥さんのことを愛してる。
だから、今もずっと指輪を嵌めているのだ。


彼女が命懸けで産んだ子供の為に、自分のことなど投げ打って毎日を懸命に生きてる。

だから、時々身支度が整ってない日があった。
自分のことよりも、きっとお子さんの身支度に追われてるのだ。



「あいつが誰にも甘えずに生き抜いたように、俺も誰にも甘えずに生きないと駄目だと思う。
あいつが残した宝物を一人前にするまでは、俺が一人で戦い抜いていかないと…って」


覚悟を滲ませて生きてる課長を営業部の部長は知ってたんだ。

私の前からオフィスで勤めてる相川さんもそれを知ってて、だからこそ金曜日の夜も地味にあの席でお酒を飲んでた。


< 48 / 255 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop