そして、朝が来る


確かに助けを求めていた。たすけてくれと叫んでいた。


心の中で、ずっと。今この瞬間ですら、きっと心の奥底では誰かが助けてくれるのではと、ありもしない望みを抱いていて、そんな自分が嫌いで、僕は。


だからといって、こんなことが本当にあるのだろうか。


「俺は別に、君が死のうがこのまま俺の手を取ろうが、正直興味はないよ」


でも、と彼は歌うように続ける。履き違えるなよ、と。どこか嬉しそうにそして楽しそうに、それでもその瞳が笑っていないことに、僕は今更ながらに気付いた。


何に、ということは、きっと僕が一番よく知っている。そして、そう言うということは、彼もそう考えたことがある、考えているということを示している。


どうして彼が知っているのか。どうして彼は分かっているのか。そもそも彼はいつここへ来たのか、どうしてこんな場所へ来たのか。分からないことは山ほどあったが、どうしてかそれを確認する気にはなれなかった。


「……どうして」

「君はその問いが好きだね」


伸ばされた手は、そのままに。フェンス越しに会話を続ける僕と彼は、おかしいのかもしれない。おかしいままで逝こうと思っていた。だけど、彼は。どうして彼は。


目の前の青年への疑問が湧いてしまった時点で、僕はきっと終わりだ。


どうせいつだって命を投げ出すことはできる。ここまできたら、少しの時間くらい彼と話をしてもいいだろう、と。


フェンスに手をかけて、僕は再びその錆びた鉄の網を乗り越える。得意げな顔をする彼と相対して、改めて似ている、どころのレベルではないことを実感する。伸ばされた手を取ろうとすると、彼はまるで遊ぶかのように手を引っ込め、少し離れたベンチに腰かけた。


昔話をしようか、と彼は僕を見ぬままに呟く。僕の返事を待つこともなく、彼は小さく笑うと昔々あるところに、と勝手に話を始めた。


「昔々あるところに、とある少女がいました。少女はいじめられていて、もう疲れ切っていました。自殺をしようと思い立った少女は、自分の住んでいるアパートの屋上へ向かいました。アパートは四階建てで、飛び降りようと決めた場所の下は駐車場のあるアスファルトの地面。ここから飛び降りたら絶対に死ねるだろう、と思った少女は、あっさりとフェンスを乗り越えると空を見上げて手を伸ばしました。最期の最期で、誰かが助けてくれないかと期待したからでした。それでも誰かが来るわけでもないことは少女が一番よく分かっていました。少女はそっと伸ばした手を握り締めると、手を下ろしてアスファルトの地面を見下ろしました。とても遠いように感じるアスファルトの地面は、ある意味とても近く感じました。少女は足をコンクリートの床から離すと、宙に投げ出そうとしました。これで終わる、と少女が安心した瞬間────少女は、とある少年の手によってその望みを絶たれました」


< 5 / 10 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop