思い出になんて、負けないよ。
甘い日とそうじゃない日
第四話 甘い日とそうじゃない日
あれから数日経った頃
季節はすっかり夏になり、じりじりと照りつける太陽の光が眩しかった
「…あっつ」
手元のスマホを見ると午前三時半
「…早すぎ」
二度寝しようにも目が冴えてしまい寝れそうにない
「…仕方ない。仕事するか」
おもむろにノートパソコンを開いてしばらくカタカタと進める
「……」
だめだ、やっぱ眠い。
…というか、今日は何だか身体が重い
「風邪でも引いたか?」
ある程度進めて再びベッドに横になる
「…今日起きれるかな」
しかし完全に熟睡してしまい…
気づけば、朝の八時をまわっていた
…ピンポーン…ピンポーン…
何度目かの家のチャイムで目が覚め、何気無く、そのまま出る
「楓く…って、もしかして寝てた?」
現れたのは、瑠衣だった
しかしまだ夢の中で寝ぼけていた楓
瑠衣の手を引くとドアを閉め、抱え込むようにして押し倒した
「ちょっ…楓くん?!?!!」
慌てふためく瑠衣を他所に、とろんとした目で見下ろす楓
「ま、待って楓くん!き、今日仕事あるよね?!みんな待ってるよ?!ね!」
必死に抵抗するがやっぱり男の子。
瑠衣の抵抗も虚しく、全く歯が立たなかった
「…っ、どうしよ…!」
瑠衣がパニックになりながらぐるぐると考えていた時、パコッ!という鈍い音を立てて見上げていた楓が倒れ込んできた
「…ったく、相変わらず寝起きわりーな、楓」
「い、一条先生!?」
手には雑誌を丸めており、それで楓の後頭部をパコッと叩いたらしい
「大丈夫か?皆川。…こいつ昔から寝起き最悪でな」
そう言いつつ楓を起こす英治
「あーあーもう英治ったら!
せっかく面白そうな展開だったのに〜」
英治の後ろで千尋が楽しそうに笑う
「…面白くないわよっ」
身なりを整えながらも瑠衣の顔は赤い
「…もしかして、期待しちゃった?」
千尋のいたずらっぽい瞳に動揺し、千尋のほっぺたを両サイドからつねる
「い、たたたた!ご、ごめんてば!」
「今度余計なこと言ったら覚悟しときなさいよ、千尋…!」
しばらくして、英治が奥の寝室から出てきた
「…いつもより寝起きが悪いと思ったら、あいつ熱あるわ
とりあえず病院側に電話してくる」
そう言った英治はリビングの方へと歩いて行く
「…熱?!?!!」
思いがけないハプニングに更に動揺する瑠衣
そこでふと、ピーン!と何か思いついたように千尋が口を開く
「…ねえねえ、瑠衣が看病してあげたら?
楓くんもきっと喜ぶよ?」
「は、…はあああぁっ?!?!!」
一気に紅潮した頬に構うことなく声をあげる
「いいんじゃね?…俺も千尋の時、面倒見てたし」
あ、そういえば…と千尋も思い出す
「それじゃ、楓の事は頼んだ」
「秋田さんたちにはあたしから言っとくから!じゃあね〜♪」
にやにやと意味深な顔をして去っていった二人を睨みつつ、ドアが閉まるとさてどうしようと考える
…一応、様子見に行ったほうがいいよね
ーコンコン、
「…楓くん?入るね」
ガチャ、とドアを開けるとベッドの上に横たわる楓の姿が
「…楓くん、大丈夫?
何かいま欲しい物とか、ない?」
「…ほしい、もの?」
薄らと目を開けた楓の視界に瑠衣が映る
「…これ」
そう言って瑠衣に手を伸ばし、ベッドへと引き込んだ
「まっ…楓くん!!」
慌てて出ようとするが、これがまたなかなか離れない
「…瑠衣、ここにいて…」
いつもの楓らしくない、か細い声だった
「楓、くん…?」
ぎゅううっと強く抱きしめられた瑠衣
…もしかして、楓くんって結構寂しがり屋だったりするのかな?
「…楓くん。私はどこにも行かないよ
ずっと、楓くんの傍にいるから」
楓の方に向き直り、優しくその額に手をかざす
「やっぱり少し熱いね。…タオル濡らして持ってくるよ」
ベッドから出ようとした時、咄嗟に腕を掴まれる
「…やだ。どこ行くの」
最早口調まで変わってしまっていて、瑠衣は愛おしくて仕方なかった
「タオル取りに行くだけだよ?だから別にー…」
言いかけた瑠衣はそこでようやくあることに気づく
「…か、かかか楓くん…?
あなたもしかして…ふ、服…?!」
「…ん?暑いから脱いだ」
ひええええ!!!!
下こそ履いていたものの、上半身裸の状態だった
顔で手を覆ってみるものの、指の隙間からちらっと楓を見てしまう
…やばい、腹筋割れてるじゃん
しかも色白いし細いし!!
…私これ、痩せなきゃマズイ?
前に千尋や英治たちと一緒にプールに行ったことを思い出した瑠衣
しかしあの時よりはるかに身体を引き締めていた楓
くらくらと、目眩がしそうだった
そんな事を思いながら妄想を膨らませていると、またベッドへと引き戻される
「瑠衣の顔、真っ赤なんだけど」
「…っ、!誰のせいだと思って…!」
あと数センチで唇が重なる距離にいる二人
瑠衣のドキドキは最高潮に達していた
「…ええと…ええと……!!?」
もうどうしていいか分からず半泣きになる瑠衣
しかし楓の方は、何やら幸せそうだった
「…やっと瑠衣を独り占め出来る」
「…え?」
楓の思いがけない言葉に驚いた
「…瑠衣さ、結構患者さんにモテるじゃん。
この間は元彼の話とかもあったし
全然、俺と会える時間無くて…余裕無かった」
「楓くん…」
「だけど今だけは俺のもの。…誰にも、元彼にだって渡したくない」
これで私たちは付き合っていないのだと言ったところで、いまの状況を誰が信じるだろうか
結局その日は一日、楓の抱き枕として過ごした瑠衣
翌朝、記憶が全くないと楓から連絡があったがどう答えていいのか分からず…
なかなか返信が出来ない瑠衣であった
「ちょっと瑠衣ー?なーに難しい顔してるの!」
昼休憩
院内にあるカフェでひとりスマホの画面とにらめっこしていた瑠衣の元に、千尋がやって来た
「ち、千尋ぉ…!」
「え、なにどしたの?!」
千尋に泣きつく形で昨日あった事を全て話した
「…うわぁ。楓くんついに本性出してきましたな〜」
「楓くんって、昔からあんな感じなの?」
思い出の裾を手繰り寄せてみるものの、千尋にさえあまり記憶にない楓の姿だった
「うーん…普段はふわふわしてたイメージ強いし…何より、あんな雰囲気無かった気がするんだよねぇ」
「…千尋と進路別れた後、何かあったのかな」
手元のカプチーノを見つめ、不安げな顔を浮かべる瑠衣
「まあ色々あったよ、あいつも」
「「わっ?!?!!」」
「よっ」
現れたのは、英治だった
「…皆川は、あいつの過去を知りたいって思うか?」
「それってどういう…」
少し寂しそうに笑う英治は、遠くを見つめて。
「…その時が来たら、話すよ」
そう言い残して英治は去った
「一条先生、楓くんの事…何か知ってるのかな」
「その時が来たらって言ってたし、きっとすぐに話してくれるよ」
だといいんだけど…とカプチーノを口元へと運ぶ
午後から今井さんの検査が入っていたので病室へと向かった瑠衣
「失礼します…
今井さん、もうすぐお時間なので行きましょうか」
にこやかな笑顔で声をかけるが、早速無視を決め込まれる
…ほんっと、こういう人たまにいるんだよなぁ
瑠衣は負けじと顔色を変えずに話しかける
「今日はいいお散歩日和ですよ、今井さんっ!
検査もぱぱーっと行っちゃえば後はのんびりしましょう!ね?」
「…」
「いーまーいーさんっ!
こんな可愛い看護師が来てるんですよー?
いーきーまーしょーうーよー!」
瑠衣の押しに負けたのか、渋々布団から出ようとする今井さん
「お、行く気になってくれましたか?!
車椅子用意するのでちょっと待ってて下さいね!」
そう言うとベッドの横に置いていた車椅子を用意し、今井さんを乗せる
「…意外と力はあるんだな」
スムーズに済ませた瑠衣を少し意外そうな顔で見る
「力じゃ無いんですよー!コツですよコツ!
学生の時からビシバシ言われてますからね〜♪」
興味を持ってもらえたのが嬉しくて思わず笑顔になる瑠衣
「それじゃあ、検査室へ向かいますね」
車椅子を押して病室を出ようとした時、不意に引き止められた
「…あ、看護師さん!」
入口手前のベッドに座ってテレビを見ていた郁也だった
「俺も今日検査あるんだけど…何時からだったかな?」
「…詰所で聞いてきますね。少し待っててください」
声のトーンをあからさまに落とした瑠衣は詰所の別の看護師にピッチで連絡し、今井さんとエレベーターに乗った
「…君は、彼が嫌いなのか」
口を開いたのは今井さんだった
「本当は仕事に私情を持ち込んじゃだめだって、分かってるんですけど…
彼、わたしの元彼なんです」
あはは…と笑いながら言う瑠衣に、思わぬ言葉が飛んできた
「無理しなくていいと思うぞ」
「…え?」
「嫌いなものは誰だって嫌いだ。
無理に好きになろうとしても、いずれガタは出る
そうなるくらいなら、いっそ割り切って一からっていうのも、悪くはないと思うぞ」
意外だった
てっきり今井さんなら、
「仕事は仕事だろう」とか、言いそうだったのに…
やっぱり、人は見かけによらない
今井さんは不器用だけど、ちゃんと周りが見えてるんだ
…この仕事をしていると、本当に色々な事を学ぶ
人生の先輩が患者さんとして来院される事も少なくないため、自分とは違った考えを持っているのも当然
大人な考えが出来る彼らを、瑠衣はとても尊敬していた
目的のフロアに着き、今井さんとエレベーターを降りる
「それじゃあ今井さん、検査が終わったら連絡するようフロアの看護師に伝えてあるのでまた後で来ますね」
検査室の看護師へと今井さんを預け、エレベーターを待つ
「…ふう、」
先ほど、今井さんと病室を出る前の出来事を思い出す
「…ちゃんと、話せてたよね」
笑顔でちゃんと、“患者さん”とコミュニケーション、取れてたよね?
開いたエレベーターに乗り込もうとすると、先客がいた
「一条先生!」
「おつかれ。…皆川はこれからまだ仕事?」
どうやら私たちのフロアに用事があるらしい
「うん。…楓くん、今日は大丈夫そう?」
「楓?あー…まあ、大丈夫だろ」
瑠衣から視線を逸らして棒読みな英治
違和感を感じた瑠衣は問い詰める
「…楓くん、何か言ってた?」
「いや…まあ、そのー…皆川からなかなか返事が返ってこない、とは言ってた」
はっとしてスマホに目をやる
「そういえば、返し忘れてた…」
「昨日、楓と何か進展あった?」
楽しげな表情の英治は千尋から何か聞いたのだろう
明らかに分かってますよ、と言わんばかりの雰囲気を醸し出していた
「…昨日の事があってから、楓くんにどんな顔して会えばいいのか分かんなくて。
私って、楓くんにとって何だろう…」
そんな話をしていると、瑠衣たちのフロアへと到着する
「まあ、いい感じだとは思う。
楓、不器用だけどいいヤツだからさ」
先に降りた英治はフロアの主任と資料の確認に行った
「不器用、か…」
確かに楓くんは、少し…いや、かなり不器用な所があるかもしれない
だけど
瑠衣にとっては、そんな所も含めて好きな所になっていた
「さて、私も頑張りますか!」
しかし意気揚々とナースステーションに入った瑠衣に、思いがけない試練が降り掛かった
あれから数日経った頃
季節はすっかり夏になり、じりじりと照りつける太陽の光が眩しかった
「…あっつ」
手元のスマホを見ると午前三時半
「…早すぎ」
二度寝しようにも目が冴えてしまい寝れそうにない
「…仕方ない。仕事するか」
おもむろにノートパソコンを開いてしばらくカタカタと進める
「……」
だめだ、やっぱ眠い。
…というか、今日は何だか身体が重い
「風邪でも引いたか?」
ある程度進めて再びベッドに横になる
「…今日起きれるかな」
しかし完全に熟睡してしまい…
気づけば、朝の八時をまわっていた
…ピンポーン…ピンポーン…
何度目かの家のチャイムで目が覚め、何気無く、そのまま出る
「楓く…って、もしかして寝てた?」
現れたのは、瑠衣だった
しかしまだ夢の中で寝ぼけていた楓
瑠衣の手を引くとドアを閉め、抱え込むようにして押し倒した
「ちょっ…楓くん?!?!!」
慌てふためく瑠衣を他所に、とろんとした目で見下ろす楓
「ま、待って楓くん!き、今日仕事あるよね?!みんな待ってるよ?!ね!」
必死に抵抗するがやっぱり男の子。
瑠衣の抵抗も虚しく、全く歯が立たなかった
「…っ、どうしよ…!」
瑠衣がパニックになりながらぐるぐると考えていた時、パコッ!という鈍い音を立てて見上げていた楓が倒れ込んできた
「…ったく、相変わらず寝起きわりーな、楓」
「い、一条先生!?」
手には雑誌を丸めており、それで楓の後頭部をパコッと叩いたらしい
「大丈夫か?皆川。…こいつ昔から寝起き最悪でな」
そう言いつつ楓を起こす英治
「あーあーもう英治ったら!
せっかく面白そうな展開だったのに〜」
英治の後ろで千尋が楽しそうに笑う
「…面白くないわよっ」
身なりを整えながらも瑠衣の顔は赤い
「…もしかして、期待しちゃった?」
千尋のいたずらっぽい瞳に動揺し、千尋のほっぺたを両サイドからつねる
「い、たたたた!ご、ごめんてば!」
「今度余計なこと言ったら覚悟しときなさいよ、千尋…!」
しばらくして、英治が奥の寝室から出てきた
「…いつもより寝起きが悪いと思ったら、あいつ熱あるわ
とりあえず病院側に電話してくる」
そう言った英治はリビングの方へと歩いて行く
「…熱?!?!!」
思いがけないハプニングに更に動揺する瑠衣
そこでふと、ピーン!と何か思いついたように千尋が口を開く
「…ねえねえ、瑠衣が看病してあげたら?
楓くんもきっと喜ぶよ?」
「は、…はあああぁっ?!?!!」
一気に紅潮した頬に構うことなく声をあげる
「いいんじゃね?…俺も千尋の時、面倒見てたし」
あ、そういえば…と千尋も思い出す
「それじゃ、楓の事は頼んだ」
「秋田さんたちにはあたしから言っとくから!じゃあね〜♪」
にやにやと意味深な顔をして去っていった二人を睨みつつ、ドアが閉まるとさてどうしようと考える
…一応、様子見に行ったほうがいいよね
ーコンコン、
「…楓くん?入るね」
ガチャ、とドアを開けるとベッドの上に横たわる楓の姿が
「…楓くん、大丈夫?
何かいま欲しい物とか、ない?」
「…ほしい、もの?」
薄らと目を開けた楓の視界に瑠衣が映る
「…これ」
そう言って瑠衣に手を伸ばし、ベッドへと引き込んだ
「まっ…楓くん!!」
慌てて出ようとするが、これがまたなかなか離れない
「…瑠衣、ここにいて…」
いつもの楓らしくない、か細い声だった
「楓、くん…?」
ぎゅううっと強く抱きしめられた瑠衣
…もしかして、楓くんって結構寂しがり屋だったりするのかな?
「…楓くん。私はどこにも行かないよ
ずっと、楓くんの傍にいるから」
楓の方に向き直り、優しくその額に手をかざす
「やっぱり少し熱いね。…タオル濡らして持ってくるよ」
ベッドから出ようとした時、咄嗟に腕を掴まれる
「…やだ。どこ行くの」
最早口調まで変わってしまっていて、瑠衣は愛おしくて仕方なかった
「タオル取りに行くだけだよ?だから別にー…」
言いかけた瑠衣はそこでようやくあることに気づく
「…か、かかか楓くん…?
あなたもしかして…ふ、服…?!」
「…ん?暑いから脱いだ」
ひええええ!!!!
下こそ履いていたものの、上半身裸の状態だった
顔で手を覆ってみるものの、指の隙間からちらっと楓を見てしまう
…やばい、腹筋割れてるじゃん
しかも色白いし細いし!!
…私これ、痩せなきゃマズイ?
前に千尋や英治たちと一緒にプールに行ったことを思い出した瑠衣
しかしあの時よりはるかに身体を引き締めていた楓
くらくらと、目眩がしそうだった
そんな事を思いながら妄想を膨らませていると、またベッドへと引き戻される
「瑠衣の顔、真っ赤なんだけど」
「…っ、!誰のせいだと思って…!」
あと数センチで唇が重なる距離にいる二人
瑠衣のドキドキは最高潮に達していた
「…ええと…ええと……!!?」
もうどうしていいか分からず半泣きになる瑠衣
しかし楓の方は、何やら幸せそうだった
「…やっと瑠衣を独り占め出来る」
「…え?」
楓の思いがけない言葉に驚いた
「…瑠衣さ、結構患者さんにモテるじゃん。
この間は元彼の話とかもあったし
全然、俺と会える時間無くて…余裕無かった」
「楓くん…」
「だけど今だけは俺のもの。…誰にも、元彼にだって渡したくない」
これで私たちは付き合っていないのだと言ったところで、いまの状況を誰が信じるだろうか
結局その日は一日、楓の抱き枕として過ごした瑠衣
翌朝、記憶が全くないと楓から連絡があったがどう答えていいのか分からず…
なかなか返信が出来ない瑠衣であった
「ちょっと瑠衣ー?なーに難しい顔してるの!」
昼休憩
院内にあるカフェでひとりスマホの画面とにらめっこしていた瑠衣の元に、千尋がやって来た
「ち、千尋ぉ…!」
「え、なにどしたの?!」
千尋に泣きつく形で昨日あった事を全て話した
「…うわぁ。楓くんついに本性出してきましたな〜」
「楓くんって、昔からあんな感じなの?」
思い出の裾を手繰り寄せてみるものの、千尋にさえあまり記憶にない楓の姿だった
「うーん…普段はふわふわしてたイメージ強いし…何より、あんな雰囲気無かった気がするんだよねぇ」
「…千尋と進路別れた後、何かあったのかな」
手元のカプチーノを見つめ、不安げな顔を浮かべる瑠衣
「まあ色々あったよ、あいつも」
「「わっ?!?!!」」
「よっ」
現れたのは、英治だった
「…皆川は、あいつの過去を知りたいって思うか?」
「それってどういう…」
少し寂しそうに笑う英治は、遠くを見つめて。
「…その時が来たら、話すよ」
そう言い残して英治は去った
「一条先生、楓くんの事…何か知ってるのかな」
「その時が来たらって言ってたし、きっとすぐに話してくれるよ」
だといいんだけど…とカプチーノを口元へと運ぶ
午後から今井さんの検査が入っていたので病室へと向かった瑠衣
「失礼します…
今井さん、もうすぐお時間なので行きましょうか」
にこやかな笑顔で声をかけるが、早速無視を決め込まれる
…ほんっと、こういう人たまにいるんだよなぁ
瑠衣は負けじと顔色を変えずに話しかける
「今日はいいお散歩日和ですよ、今井さんっ!
検査もぱぱーっと行っちゃえば後はのんびりしましょう!ね?」
「…」
「いーまーいーさんっ!
こんな可愛い看護師が来てるんですよー?
いーきーまーしょーうーよー!」
瑠衣の押しに負けたのか、渋々布団から出ようとする今井さん
「お、行く気になってくれましたか?!
車椅子用意するのでちょっと待ってて下さいね!」
そう言うとベッドの横に置いていた車椅子を用意し、今井さんを乗せる
「…意外と力はあるんだな」
スムーズに済ませた瑠衣を少し意外そうな顔で見る
「力じゃ無いんですよー!コツですよコツ!
学生の時からビシバシ言われてますからね〜♪」
興味を持ってもらえたのが嬉しくて思わず笑顔になる瑠衣
「それじゃあ、検査室へ向かいますね」
車椅子を押して病室を出ようとした時、不意に引き止められた
「…あ、看護師さん!」
入口手前のベッドに座ってテレビを見ていた郁也だった
「俺も今日検査あるんだけど…何時からだったかな?」
「…詰所で聞いてきますね。少し待っててください」
声のトーンをあからさまに落とした瑠衣は詰所の別の看護師にピッチで連絡し、今井さんとエレベーターに乗った
「…君は、彼が嫌いなのか」
口を開いたのは今井さんだった
「本当は仕事に私情を持ち込んじゃだめだって、分かってるんですけど…
彼、わたしの元彼なんです」
あはは…と笑いながら言う瑠衣に、思わぬ言葉が飛んできた
「無理しなくていいと思うぞ」
「…え?」
「嫌いなものは誰だって嫌いだ。
無理に好きになろうとしても、いずれガタは出る
そうなるくらいなら、いっそ割り切って一からっていうのも、悪くはないと思うぞ」
意外だった
てっきり今井さんなら、
「仕事は仕事だろう」とか、言いそうだったのに…
やっぱり、人は見かけによらない
今井さんは不器用だけど、ちゃんと周りが見えてるんだ
…この仕事をしていると、本当に色々な事を学ぶ
人生の先輩が患者さんとして来院される事も少なくないため、自分とは違った考えを持っているのも当然
大人な考えが出来る彼らを、瑠衣はとても尊敬していた
目的のフロアに着き、今井さんとエレベーターを降りる
「それじゃあ今井さん、検査が終わったら連絡するようフロアの看護師に伝えてあるのでまた後で来ますね」
検査室の看護師へと今井さんを預け、エレベーターを待つ
「…ふう、」
先ほど、今井さんと病室を出る前の出来事を思い出す
「…ちゃんと、話せてたよね」
笑顔でちゃんと、“患者さん”とコミュニケーション、取れてたよね?
開いたエレベーターに乗り込もうとすると、先客がいた
「一条先生!」
「おつかれ。…皆川はこれからまだ仕事?」
どうやら私たちのフロアに用事があるらしい
「うん。…楓くん、今日は大丈夫そう?」
「楓?あー…まあ、大丈夫だろ」
瑠衣から視線を逸らして棒読みな英治
違和感を感じた瑠衣は問い詰める
「…楓くん、何か言ってた?」
「いや…まあ、そのー…皆川からなかなか返事が返ってこない、とは言ってた」
はっとしてスマホに目をやる
「そういえば、返し忘れてた…」
「昨日、楓と何か進展あった?」
楽しげな表情の英治は千尋から何か聞いたのだろう
明らかに分かってますよ、と言わんばかりの雰囲気を醸し出していた
「…昨日の事があってから、楓くんにどんな顔して会えばいいのか分かんなくて。
私って、楓くんにとって何だろう…」
そんな話をしていると、瑠衣たちのフロアへと到着する
「まあ、いい感じだとは思う。
楓、不器用だけどいいヤツだからさ」
先に降りた英治はフロアの主任と資料の確認に行った
「不器用、か…」
確かに楓くんは、少し…いや、かなり不器用な所があるかもしれない
だけど
瑠衣にとっては、そんな所も含めて好きな所になっていた
「さて、私も頑張りますか!」
しかし意気揚々とナースステーションに入った瑠衣に、思いがけない試練が降り掛かった