思い出になんて、負けないよ。
不器用な騎士(ナイト)
第六話 不器用な騎士(ナイト)
「…ん、……?」
瑠衣が目を覚ますと、見慣れた天井が視界に入る
しかしそこはよく知っていたものの、瑠衣の部屋では無かった
「ここは……」
身体を起こして横をみると、千尋が気持ちよさそうに眠っていた
「千尋の家、か…どうりでベッドがふかふかな訳だ」
寝具にこだわる千尋のベッドはいつもふかふか
瑠衣もこのベッドがお気に入りだった
「起こしちゃ悪いよね」
そーっとベッドから抜け、リビングへ向かうと
机の上に、瑠衣のバッグと綺麗にアイロンまでかけられたナース服が畳まれていた
「千尋…」
すやすやと眠っている千尋をみて、思わず笑みがこぼれる
「…ありがとね」
帰り支度をしようとして、ふと何かに気づく
「そう言えば私、なんで千尋の家にいるの…?
昨日は仕事だったはず……」
言いかけて、昨日の出来事をはっと思い出す
楓の唇が触れたあの後
思わぬ出来事に失神してしまった瑠衣
失神しかける前、薄れる意識の中少しだけ見えた楓の表情は…
自分でも、かなり驚いていたようで。
赤面の中に焦りが見えた気がした
「…」
柔らかかった、な。
触れた唇を指でなぞる
「…っ、!」
しかしまたその事を思い出して。
「…っあぁ〜…もう……」
両手で顔を覆い、顔の火照りを抑えようとした
「…あれ、瑠衣ー?
起きるの早いねぇ〜おはよう〜」
大きなあくびをしながら千尋がリビングへと入ってきた
「…っあ、お、おはよう千尋!
荷物とナース服、ありがとね!」
「いいえ〜
ご飯作るから、ちょっと待ってて〜」
先に顔洗ってくる〜とまたふらっとリビングを後にした
「…」
千尋がいなくなったリビング
何度も何度もキスの事を思い出しては…
顔を赤らめた
「…それで?瑠衣、調子は大丈夫?」
「う、うん…なんとか」
千尋が作ってくれたオムライスを頬張りながら曖昧に答える
「昨日びっくりしたんだから!
仕事終わって瑠衣探してたのに全然見つかんなくて。
英治も楓くんと連絡がつかないって探してたら、まさかエレベーターに閉じ込められてたとは…」
おまけに出てきたと思ったら後はよろしく、って瑠衣ごと任されるし!
楽しそうに笑う千尋に少し申し訳なさを感じた
「ご、ごめんね千尋…実は私ー…」
「ん?あぁ、全然いいよ?
…まあ、あのエレベーターでの数時間の間、何があったのかは興味あるけど♪」
「…っ、!!!?!」
先程まで思い出していた光景がフラッシュバックした
「〜〜…っっ!!
千尋、もしかして何か聞いたの?!」
ぐぬぬ…と照れ隠しのごとく千尋を睨む
「え〜?わたし何にも聞いてないよ〜?
…瑠衣と楓くんがキスした、とか…
知らなあい♪」
「ち、ちちち千尋!!!!!」
改めて言葉で言われることほど恥ずかしものは無かった
「だ、誰から聞いたのよっ!
…って言うか、ほんとなんで知ってるの?!」
にやにやしながらオムライスを食べ進める千尋はさらに驚くことを口にする
「なんか〜…
英治からメッセージ入ってたんだけど…
“楓が朝からおかしい”って。
どうしたのかなーって思ってたら送られてきたのがこの写メ」
ほい、と瑠衣にスマホの画面を向ける
「!」
そこには珍しく、読書をする楓の姿が
「楓くんって、読書嫌いなはずじゃ…?」
「うん、だから英治がおかしいって言ってたの。
…ちなみに何の本か、気にならない?」
先程に比べて一層にやにやと怪しい笑みを浮かべた千尋
…気になる。
「…何の本読んでたの?」
「これですね!」
ぱっと千尋が画面を横にスクロールすると、一冊の本が画面上に出てきた
「えーと…“恋愛における10の法則”…
……え?」
可愛らしいパステルピンクのその本はどうやら恋愛のバイブルのようなものらしい
いよいよ耐えきれなくなった千尋は大笑い
「あはははははっ!!
楓くんってば、意外と恋愛には奥手だったんだね〜!
もうっ、英治にすぐ電話して昨日の夜確認とっちゃったじゃない!」
まだ状況が上手く理解出来てない瑠衣の頭にはたくさんのクエッションマークが。
「しかも…ふふっ!
キスのページを重点的にっていうか…ふふっ、そこしか見てないくらい…ははっ…読んでる…みたい…ふふはっ」
笑いをこらえきれない千尋は言葉にならない
「良かったね〜瑠衣!
めちゃくちゃ意識されてるじゃない」
まだ笑っている千尋だが、嬉しい気持ちは本当だった
「…でも、楓くんにはもしかしたら他に好きな子がいるかもしれないし…」
これは、自分のためじゃない
そう言い聞かせないと、勘違いだった時のショックが半端じゃない
過去の恋愛から学んできた事がそうだった
自分に向けられていたと思っていた言葉は自分に向けられず、私を通り過ぎて別の人へと向けられる…
そんな事も、少なくなかった
「…ぬか喜びは、したくないよ」
半分ほど食べ進めていた手を置く瑠衣
「…ここまで意識されてるのに、本当にそう思う?」
ふふっと手に顔を載せ、優しく笑う
「…私、楓くんが分からない。
優しくてふわふわした楓くんが居たと思ったら“俺”口調の楓くん出てくるし
それに昨日だって…。」
郁也から庇ってくれた時の楓は、殺気が立っていたように思えた
「…本当の楓くんって、どれなんだろうね」
「…」
考えつつオムライスを頬張る
「…でもさ、」
次に口を開いたのは千尋だった
「きっと…そのどれもが“本当の楓くん”、なんじゃない?
ぜーんぶひっくるめて、楓くんなんだよ」
「…ポーカーフェイスとかじゃなくて?」
「違う!全っ然ちがうよ瑠衣さん!!
素を見せられる人なんて滅多に居ないと思うよ?!
それに、楓くんにとって瑠衣は特別な人、なんだよ」
「特別な…人?」
「イエス!
こんなに意識してくれるなんて、嬉しい事じゃない
…学生みたいだけど!」
そう言って、また笑い出す
「青春してるんだよ、今きっと」
開けた窓から優しい風が室内に入り込み、蝉の声がよく聞こえた
「…それじゃあ、ありがとね」
「気をつけてね〜!」
バイバイと瑠衣を見送り、見えなくなったところでスマホを取り出す
「……
あ、もしもし?何とかなりそうよ」
うん…うん……
電話の相手も、嬉しそうにしていた
「…うん…わかった、明日ね?
明日は私たち二人とも元から仕事入ってたから大丈夫
それじゃ、」
ツーツー…と機械音が電話の終了を告げる
「…上手くいくといいんだけど」
千尋の声は、空に吸い込まれた
「…ただいまぁ」
パタン、とドアを後ろ手で閉めて
自宅に戻ってきた。
「なんか…どっと疲れた…」
普段からよく千尋の恋愛トークを聞いていた瑠衣
だけど、自分の事は千尋にさえあまり話したことがなかった
「恋愛って、難しいよ…」
トン、と壁に持たれるように深くため息をついた
「…」
そんな時、楓では無い人物が瑠衣の脳裏を過ぎる
『瑠衣、俺にまだ少しでも可能性があるなら…
いや、無くてももう一度、お前を取り戻すから』
「…」
本当なら、もう二度と会いたくなかった
郁也の事を好きだった自分を思い出しそうになるから…
選ばれなくて、泣いた日々を思い出す
水上にとられて、悔しくて悔しくて…
だけど、ずっと好きだった気持ちだけは忘れられなかった
「…私、どうしたいんだろう」
自分の気持ちになかなか整理がつかず…しばらく考え込んでいた
ーそんな時だった
「…ん?」
ベランダの方から、小さな鳴き声が聞こえた
「…子猫かな?」
瑠衣がベランダに出てみると…
「…ありゃ、」
そこには、まだ生まれて間もない小さな子猫がいた
「よいしょ…っと。
キミ、お母さんは?はぐれちゃったのかな?」
にゃー。
「そっかぁ。…いつからいたの?」
にゃぁ…
「…わかんないよね。」
子猫を抱き上げると少し汚れていたので、瑠衣はシャワーで綺麗にする事にした
ザアァァ…
「にーーーー!!」
「あっ、ちょっと!動いちゃだめだって!」
シャワーにびっくりしたのか子猫は逃げ回り、少し時間がかかってしまった
「…ふぅ、これでいいかな!
って、あなた白猫ちゃんだったのね!
さっきまでグレーっぽい色してたのに」
子猫を膝に乗せた瑠衣はブラッシングを始めた
「ふふっ、子猫とこうやって触れ合うの初めて。
私ペットとか飼ったことないから…何だか新鮮」
子猫も気持ち良さそうにされるがままになっていた
「首輪して無いってことは…野良かな?」
子猫だし、このまま外に返しちゃうと危ないかな…
「幸いうちのマンションはペットおっけーだし、うちで飼おうかな?」
「にゃー…」
すっかり瑠衣に懐いた子猫は瑠衣から微動だに離れようとしなかった
「…よし、じゃあ今日からあなたと一緒に暮らしてあげる!
そういえば…名前無いと不便よね」
ミケ…タマ…
どうしよう、ありきたりな名前しか思い浮かばない
「もっと可愛い名前つけてあげたいんだけどな〜」
可愛い名前…
楓…くん…楓……風…
「あ!風(ふう)ちゃん!ふーちゃんでどう?!」
ぱっと浮かんだ名前を口にすると、子猫も嬉しそうに擦り寄る
「気に入ってくれた?
…それじゃあなたは、今日からふーちゃん!」
こうして、瑠衣とふーの新しい生活が始まった
この出会いが、のちの運命を大きく変えることになるなんて…
この時の瑠衣はまだ、知らなかった