樫の木の恋(中)


「殿…お逃げくだされ!」

山県昌景は勝頼に近づき、そう言い放った。

「この戦、織田家にしてやられました。武田家に勝ち目などありませぬ!」

馬場信春もまた昌景に同調し、勝頼に強く申し出る。

勝頼は己の弱さを認めたくなくて、退却が遅くなった。
しかも攻めてしばらく経ってから、長篠城に置いてきた別部隊が撃退されたとの一報が入った。

軍を退却させるための退路さえも奪われたのだ。

「殿さえ生きていれば、強き武田家の再建の夢はついえませぬ!ここはそれがしが何とかしますから、殿はお逃げくだされ!!」

昌景の怒号とも取れるその叫びが、父の影ばかり追いかけていた勝頼に響いた。
昌景や信春の願いに頬を打たれた気分だった。

そしてようやく決断した。

「…すまない。昌景、信春。」

そういって昌景が数百人の旗本を勝頼の護衛につけ、退路を作るために戦いに行った。

「…生きていてくれ。」

勝頼がそう呟いた頃には武田四名臣達は戦いの渦の中だった。




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