樫の木の恋(中)
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織田、徳川軍の被害は最小に抑えられた。武田家を深追いしすぎた隊がやられただけで、後は目立った被害は無かった。
それに反して武田家の被害は、一万三千程いた軍が一万以上の甚大な被害を出していた。
武田家の重臣である、武田四名臣の山県昌景、馬場信春、内藤昌秀を始めとし、真田昌輝、真田信綱などが討ち死にしてしまった程。
当主である武田勝頼は数百人の旗本や武田四名臣達が勝頼が退いた道を決死の思いで守り抜いたために、生き延びたらしい。
このあと武田家は外交を見直し、上杉家と和睦したり北条家や佐竹家と同盟を結んだりとしてなんとか存続していた。