この恋に、 ひとさじの 勇気を。
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『気持ちがいっぱいいっぱいな時は甘いコーヒー。これ常識やからな!』
覚えているんだよ。あなたとの些細な出来事ひとつひとつ。どれも大切な思い出だから。
あれは、教師三年目の秋。
プールの一件以来、良平さんを見れば胸が鳴るようになってしまった頃だ。
担任をしていた生徒が学校を休みがちになった。連絡を入れても『体調が悪い』とのこと。3日連続休むので、良平さんと共に家庭訪問に行った。
「お母さん。夜遅くにすみません。娘さんとお話させていただいてよろしいですか?」
母子家庭の家だった。小さなアパートで、母1人子1人、支え合って暮らしてきたらしい。
『うちのお母さん。過保護だから』
以前、彼女がそう言って、どこか苦しそうに笑っていたのを思い出す。今回の休みも母親が絡んでいると踏んでいた。
彼女を近くの公園に呼び出し、話を聞いた。
「お母さんが心配なんです。この頃精神状態に波があって……突然、『死にたい』とか叫ぶ時があるの」
彼女は涙を流していた。
彼女の母は精神的に弱い時があり、そして何より依存体質があった。娘である彼女の姿が見えないと、不安になる人だった。
「山添先生。私は最悪、卒業できなくていい。今はお母さんをほっとけない」
彼女は優しい子だった。涙を流しながらも母を想い、優しく笑っていた。
私が彼女と話をしていた間、良平さんは母親とお話をしてくれていた。
「"私から娘を取らないで下さい"だって」
彼女の母にとって、学校は彼女を自分から奪う醜い場所らしい。帰り道、良平さんは聞いた話を教えてくれた。
「良平さん。私はどうすればいいでしょうか?私に何ができますか?」
「難しい質問やな」
良平さんは答えを教えてくれなかった。それはいたずらをしている訳ではなく、彼にも正解が分からないからだろう。
少なくとも、彼女の支えになりたくて、頻繁に家庭訪問に出掛けた。その日の板書や授業プリントを渡すという名目で伺っては、彼女や彼女の母と話をした。
ほとんど、世間話みたいなもの。学校の話はあえて、しなかった。
彼女が休み始めて一か月後。
彼女の母は亡くなった。彼女が買い物に行った間に、過剰の睡眠薬を飲んだらしい。
お葬式のあと、彼女は私のもとに駆け寄ってきた。
「……先生!ありがとうございました」
彼女はお通夜でもお葬式でも、泣かなかった。気丈に振る舞っていた。
「先生が毎日のように家に来てくれたこと、本当に嬉しかった」